1991年8月19日夕方時点でソ連共産党中央委員会総会の日時が決まっていないのは奇妙だ。共産党中央委内に、総会を開くべきではないと主張する勢力があるのだろう。共産党中央委も、国家非常事態委員会支持でまとまっているわけではないようだ。
その日は朝から情報収集に集中していたので新聞を読んでいない。民主派系の新聞は発行禁止になっているので「プラウダ」(ソ連共産党中央委中央機関紙)、「ラポーチャヤ・トリブーナ」(同)、「ソヴィエツカヤ・ロシア」(ロシア共産党中央委員会機関紙)、「クラースナヤ・ズヴェズダー(赤い星)」(ソ連国防省中央機関紙)に目を通すが、国家非常事態委員会の声明類しか掲載されておらず新しい情報がない。大使館政務班では米CNNが流れているが、伝聞情報や臆測に基づいた解説がほとんどだ。
この状況では自分で情報を集め、判断するしかないと思った。この時点での筆者の関心は2つだった。第1はゴルバチョフ大統領が生きているか、殺されているかだ。第2はこのクーデターが成功するか失敗するかだ。
国家非常事態委員会の記者会見
「ラトビア青年」紙のイーゴリ・ラズモフスキー記者から「夕刻に外務省プレスセンターでヤナーエフ大統領代行ら国家非常事態委員会幹部の記者会見が行われ、テレビでも同時中継される」という連絡があった。この会見が終わるまでは、大使館から離れないことにした。
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