「岸田首相のピンチ」を救う大谷翔平の存在感 「ウクライナ訪問」「政倫審」を"翔タイム"直撃
この準決勝は敗色濃厚だった最終回に、大谷選手の鬼の形相での二塁打のあと、絶不調だった日本の主砲・村上宗隆選手がセンターオーバーのタイムリー二塁打で大逆転のサヨナラ勝ちに。日本中がこの場面に大興奮し、テレビ各局の画面は一日中このシーンばかりを繰り返し、「岸田首相の“快挙”の報道は二の次三の次」(民放テレビ幹部)になったため、岸田首相周辺が「WBCさえなければもっと国民の評価を得られたのに」と愚痴をこぼすなど、今回の政倫審とは真逆の展開だった。
ただ、岸田首相が乗り込んでウクライナに向かった最新鋭のビジネスジェット機は、大谷翔平選手がWBCのキャンプ参加で3月1日にアメリカから日本に帰国する際に使ったものと同じ機種だった。このため、今になって官邸サイドも「何という因縁」(側近)と振り返る。
そもそも、岸田首相にとっては、政権発足当初から大谷選手との“因縁”が始まっていた。2021年10月4日の政権発足後、同月末の衆院選で勝利して政権基盤を固めたが、丁度その時、当時大リーグ4年目だった大谷選手が打者で46本塁打・100打点、投手で9勝2敗・防御率3・18と投打二刀流で大活躍し、日本人として初めて満票でのア・リーグMVPに選ばれていた。
これに着目した岸田首相は大谷選手に対する国民栄誉賞授与を秘かに打診したが、大谷選手側は「まだ早いので今回は辞退させていただきたい」と回答したとされる。このやり取りをあえて明らかにした当時の松野博一官房長官は「国民栄誉賞に値する大変な活躍で、祝意を表したかった。さらなる高みに向けて、精進に集中するという強い気持ちと受け止めている」と説明したうえで、今後の授賞への期待もにじませていた。
ソウルで「開幕戦」に合わせた訪韓は延期に
その一方で、岸田首相は昨年末から外交ルートを通じて、3月20日前後の韓国訪問、日韓首脳会談開催を検討していたが、これにも大谷選手が絡んでいた。というのも、ドジャースとパドレスによる大リーグ開幕戦が3月20、21両日夜にソウルのドーム球場で開催されることが決まっていたからだ。
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