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損害保険4社による寡占が招く競争排除の甘え 市場シェア8割を握るに至った合併の歴史を図解

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大手による市場寡占の構図が生まれた経緯をひもとく。

握手するビジネスパーソンのミニチュア
(写真:Taro / PIXTA)

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中古車販売大手ビッグモーターの保険金不正請求問題に大手損害保険会社によるカルテル問題が加わり、大揺れの損保業界。
『週刊東洋経済』1月27日号の第1特集は「損害保険の闇」。長年、不正に手を染め続けた業界内部の底知れぬ闇とその実態に迫った。
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「結局のところ、自分たちはあのときから大きく変わっていないのではないか。むしろ、変わろうとしなかった、ということなのかもしれない」

損害保険大手4社によるカルテル問題が顕在化した昨年6月、ある損保の役員は自責の念に駆られるようにそう話した。

同役員が言う「あのとき」とは、保険の自由化が進んだ1996年以降の数年間のこと。保険業法の全面改正(96年)、日米保険協議の終結(同年)、金融システム改革法の施行(98年)などがあった。その結果、損保業界も、しのぎを削る競争を迫られることになった。

それまでの損保は、政府の「護送船団行政」による庇護(ひご)の下、火災保険や自動車保険といった商品を、同一内容・同一価格で販売していた。

価格差が存在しない中での競争

当時の金融行政の最優先事項は、価格競争によって体力のない保険会社が経営破綻し、契約者が被害を受けるような事態を回避することだった。

価格差が存在しない中で損保が競争するには、保険を契約してくれる企業の物品やサービスを購入する「営業協力」で、どれだけ歓心を買えるかが重要だった。

また、差のない商品を販売する損保の売り上げ(収入保険料)は、顧客との接点となる保険代理店の数で決まる。それゆえ大手損保は、正社員ではなく「研修生」として人材を大量に受け入れ、研修生に代理店を立ち上げさせることに躍起になった。90年代後半、損保の代理店の数は現在の4倍近い約60万店にも上っている。

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