知っているようで知らない「一つの中国」の意味 台湾総統選の争点には「92年コンセンサス」も

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「一つの中国」政策は中国が主張する「一つの中国」原則を一定程度は認めるが、現状として台湾に中華人民共和国政府の統治は及んでいないのであるから、それを前提に政策を決めていくことを示す各国の立場だ。つまり、各国とも「一つの中国」原則の主張に一定の配慮をしつつ、それぞれ台湾とも関係を持つことを指す。

例えば、アメリカは「一つの中国」政策の立場に立ったうえで、中華民国政府との断交後も台湾の安全保障に関与し続けてきた。1979年の米中国交樹立後にアメリカ議会が台湾関係法を制定し、台湾へ防衛用の兵器を売却し続けることや、台湾居民の安全を脅かす武力行使やその他の強制的な方式に対して適切な行動をとることを定めている。

「意見の不一致への同意」が「92年コンセンサス」

――台湾側は、中国が主張する「一つの中国」原則をどう受け止めているのでしょうか。

中国と台湾の間には、1992年に双方が「一つの中国」の立場を確認した「92年コンセンサス」があるとされる。このコンセンサスでは、中国側にとっての「一つの中国」とは中華人民共和国で台湾はその一部であるが、台湾にとってはそうではない。

台湾の国民党は「中国」とは中華民国だと主張し、それぞれの「一つの中国」の定義の違いを黙認しあったのが「92年コンセンサス」だと考えている。

つまり、「92年コンセンサス」という言葉でラッピングすることで、「一つの中国」をめぐる中台間の立場の違いを曖昧化する「意見の不一致への同意(agree to disagree)」が可能となったとも言える。これに対し、民進党は「92年コンセンサス」の存在自体を認めてこなかった。

――「92年コンセンサス」は中台関係でどのような役割をもっているのでしょうか。

国民党は台湾社会向けに「92年コンセンサス」とは「『一つの中国』について各自が説明するものだ(一中各表)」と説明してきた。これに対して中国側は当初、これを認めているとも認めていないとも言わず、ノーリアクションを通した。

ふくだ・まどか 国際基督教大学教養学部卒、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、同後期博士課程単位取得退学。この間、台湾政治大学国際事務学院東亜研究所博士課程へ留学。博士(政策・メディア)。国士舘大学21世紀アジア学部専任講師、同准教授、法政大学法学部准教授を経て、2017年より現職。主著に『中国外交と台湾――「一つの中国」原則の起源』(慶應義塾大学出版会、2013年)、第25回アジア・太平洋賞特別賞

 

その前提に立って行われたのが、2008年以降の馬英九政権と胡錦濤政権の経済交流だ。これは、「92年コンセンサス」を前提に「一つの中国」をめぐる政治問題は後回しにして、経済関係を拡大し、政府間の協議を通じて関係を制度化しようということだった。

しかし、それだけでは中国にとって台湾との「統一」を進める「政治的な成果」は表れなかった。

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