「根深い親子のバトル」より深刻な「ネオ・ネグレクト」の親、塾を託児所代わりに 子の「他責言葉」に注意、親のために受験は危険
その保護者は無表情で聞いていました。結局その後連絡が途絶えたので、私の返答に納得がいかなかったのでしょう。
こんな話もよく耳にします。公立小学校で教員に暴言を吐いたり、児童同士のトラブルを引き起こしたりする子どもに限って、保護者がまったくといっていいほど学校に姿を見せないのです。やっと連絡がついたと思えば、「子どもを管理するのが学校の役目でしょう」とそっけない返事。聞けば、その子は毎日何かしらの習い事をしており、家は単に寝起きする場所になっているとか。学校で荒れてしまうのも、誰かに構ってもらいたいという承認欲求の発露なのかもしれません。
さて、「ネグレクト」という言葉を『デジタル大辞泉』(小学館)を引くと、「子供に対する適切な養育を親が放棄すること。例えば、食事を与えない、不潔なままにしておく、病気やけがの治療を受けさせない、乳児が泣いていても無視するなどの行為」と記述されています。

しかし、衣食住が事足りていても、経済的に裕福であっても、親がわが子にいっさい関心の目を向けないのはある種の「ネグレクト」ではないでしょうか。私はこうした親の行為を「ネオ・ネグレクト」と名付けて、過去にも記事を執筆してきました。
ある私立中高一貫校の教員と話したとき、彼は「最近は、中学入学時から子離れしていて、学校をまるで託児所のように考えている親が増えたと感じる。これは困ったものだ」と憤慨していました。
このような親に育てられた子どもは人間関係の距離感を掴めず、友人とのトラブルも珍しくないと聞きます。これもやはり、承認欲求の発露と言えるでしょう。この記事を読んでいる皆さんは、わが子に向き合っていると自信を持って言えるでしょうか。バトルでも構わないので、関心を持たない「ネオ・ネグレクト」には気をつけていただきたいです。
(注記のない写真:8x10/PIXTA)
執筆:中学受験指導スタジオキャンパス代表/国語専科・博耕房代表 矢野耕平
東洋経済education × ICT編集部
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