岸田首相「辞任ドミノ」で支持率下落の"底なし沼" 解散権失い、「ポスト岸田」に動き出す自民
しかも、政務3役の新たなスキャンダルも噂されるなど、「内閣は学級崩壊状態」(共産党幹部)ともみえる。9月中旬の内閣改造人事以来、岸田首相が繰り返してきた「適材適所」は、「もはや『不適材不適所』といわれても仕方ない」(自民長老)のが現状で、永田町では「最大の不適材は岸田首相自身」(立憲民主)と声まで飛び交う状況だ。
そもそも大臣・副大臣・政務官による「政務3役」という現在の仕組みが制度化されたのは、2001年の中央省庁再編に伴うもので歴史は浅い。それ以前は副大臣・政務官に該当していたのは「政務次官」という役職で、しかも各省庁では大臣と事務次官が中核で、「(政治家が務める)政務次官はいてもいなくても同じという意味で『政権の盲腸』といわれてきた」(自民幹部)のが実態だった。
そうした中、大臣・副大臣・政務官に対する「政務3役」という呼び名を定着させたのは2009年8月の衆院選で政権奪取した当時の民主党。政権発足時から「政務3役による霞が関支配」を追求したが、各省庁の抵抗にあって政治主導が機能せず、それが民主党政権崩壊につながったのは否定できない。
このため、再政権交代となった2012年末からに安倍政権以降は、「政務3役」という言葉は「実態的には死語」(官邸筋)となったが、各省庁の事務方トップの事務次官の上に「政務3役」が位置する仕組みは変わらず、結果的に今回のような副大臣・政務官の不祥事でも、首相の任命責任が問われることになった。
国際的に大恥となった「副大臣・政務官はすべて男性」
そもそも、今回の人事で、当初は54人の副大臣・政務官がすべて男性という過去例のない陣容となり、「国際的に大恥をかいた」(外務省幹部)という経緯もある。
これは、過去の「政務次官」人事と同様に、副大臣・政務官の人事は各派閥の代表として幹事長の下に集まる副幹事長たちが「お互いに貸し借りしながら人事を決める慣習」(自民長老)が続いているからだ。このため「首相は関与できず、しかも官邸でチェック役となる官房長官、副長官と政務の秘書官らが、まったく機能しなかった」(同)のが実情とされる。
今回の「自民ドミノ」を受けての最新の世論調査でも内閣支持率が30%割れの危険水域となる一方、自民党の支持率も下落が際立ち、特に自民支持層の「岸田離れ」が目立ち始めている。
これを意識してか、高市早苗・経済安保相が15日に「『日本のチカラ』研究会」という名称の勉強会を立ち上げるなど、「ポスト岸田」を視野に入れた動きが具体化してきた。「党内の反岸田勢力の旗頭」(自民長老)とされる菅義偉前首相や二階俊博元幹事長もここにきて密談を繰り返し、岸田首相を揺さぶる構えだ。
こうした「政権危機の現実化」(官邸筋)を打開すべく、岸田首相は15日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のため、アメリカ・サンフランシスコに向け、出発した。滞在中は中国の習近平国家主席との日中首脳会談やバイデン大統領との日米首脳会談などを実現し、「岸田外交の成果を内外にアピールことで政権危機回避への活路を見出す考え」(官邸筋)とされるが、与党内でも「いったん失った政権への国民の信頼は、簡単には取り戻せない」(首相経験者)との声が支配的だ。
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