金融政策が大きく転換した2013年上半期の議事録公開を受け、審議委員として決定に携わった筆者が議論の経緯を振り返る。
10年以上続く異例の金融緩和の起点となったのが、日本銀行が2%の物価目標の導入を決め、また政府と日本銀行の共同声明を発表した2013年1月22日の金融政策決定会合、そして「量的・質的金融緩和」の導入を決めた同年4月4日の会合だった。
両者を含む2023年1月から6月にかけての金融政策決定会合の議事録が、10年を経て7月31日に公表された。
現在も続く異例の金融緩和が、どのような議論の下で開始されたのかを検証できる重要資料である。また、当時審議委員で、政策委員の一人として政策決定を担っていた筆者にとっても、当時を思い起こし、改めてこの政策が何であったのかを深く考え直すきっかけともなる。
効果と副作用を十分検証せず導入
異例の金融緩和の是非については、現在も賛否が大きく分かれるところであるが、筆者は経済、物価に与える影響は乏しかった一方、さまざまな副作用を高めてしまったと考えている。効果と副作用の比較衡量に基づけば、妥当とは言えない政策の枠組みなのではないか。
開始時点での問題としては、第1に、強い政治的圧力の下で決定された金融緩和の枠組みであった点、第2に、その下で、2%の物価目標という達成が難しい目標を受け入れてしまった点、第3に、大量の国債買い入れなどからなる「量的・質的金融緩和」を2%の物価目標と紐づけた点、第4に、「量的・質的金融緩和」の効果と副作用の検証を十分に行うことなく導入を決めた点、である。
これらの点を、議事録でしっかりと確認する必要がある。
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読み頂けます。
東洋経済ID 会員特典
東洋経済IDにご登録いただくと、無料会員限定記事を閲覧できるほか、記事のブックマークや著者フォロー機能、キャンペーン応募などの会員限定機能や特典をご利用いただけます。
東洋経済IDについての詳細はこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら