津波が襲った福島県南相馬市。兼業農家の人的被害も多く、農業技術継承にも暗雲漂う
「残念だけど、誰も見つからなかった」
そう言って彼女がさらに説明してくれたのは、わが国の農業従事家庭の構造問題を背景にした被害の実情だ。
「若い者はみんな、街の会社に働きに行っている。11日も朝早くに出勤した。そのあと、年寄りが田畑に出た。そこに地震と津波が起きた。だから、不明者には年寄りが多い。しかも、家族の人間でも、あの日、年寄りがどういう服装をしていたか、わからない」
本来、この地域は広大な田園風景が続く穀倉地帯だ。それでも、農業は兼業であり、高齢者が担っているということだった。
防災放送が流れたのは一度だけだった。しかも、日頃から、地震のたびに津波への注意を喚起する放送が流れていたので、「年寄りたちは今度もか、という気持ちで逃げるのが遅かったのだろう」、とその主婦は言う。
田畑には、海水がたまったままだ。おそらく、ひどい塩害のため、田畑としての再生は厳しい。現に、その近くでがれきの片付けをしていた中年男性は、眼前に広がる彼の田畑だったため池のような場所を指さしながら、「もう農業はダメだ」とため息をつく。
そのうえ、農業技術に精通していた高齢者たちが津波の被害となった。今後、当地に適した農業技術の継承もままならないだろう。
福島県などでは、原発事故による農作物への影響が懸念されている。しかし、こと南相馬ではそれだけではなく、農業の持続を危ぶむ別の大きな問題が立ちはだかっている。
(浪川 攻、撮影:梅谷秀司 =東洋経済オンライン)
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