食事会で隆明さんと連絡先を交換した純子さんはすかさず「ゴハンに行きませんか?」と誘い、それからは頻繁に会うようになった。大学院では哲学を専攻していたという隆明さんはマンガから歴史まで知的好奇心の対象は広く深く、会えないときは多様なネット記事を送ってきた。
「なんとか大王の面白エピソードとかトラの赤ちゃん動画とか、いろいろです。私はすべてに興味があるわけではないけれど、好きなことがたくさんある人だなとは思いました」
会社では人事部も経験している隆明さんは、純子さんの仕事の悩みも親身になって聞いてくれた。誰に対しても優しい人なのだろうとは思いつつ、純子さんは隆明さんとの結婚を思い描くようになった。
やや古風な家で育った純子さんは告白やプロポーズは男性からしてほしいと思っていた。しかし、週2ペースでデートしているのに隆明さんの口からは「付き合おう」という言葉すら出ない。半年近く経った頃、年上の友人夫婦が会食中に「ナイスフォロー」をしてくれた。
「隆明くん、結婚は考えてる? そういうことも考えてあげなくちゃダメだよ」
その場の隆明さんは「結婚なんて考えてないです」と即答。純子さんとの結婚は考えられない、という意味ではない。結婚という人生の選択肢自体を考えたことがない、というのだ。浮世離れしたところがある男性である。
突き付けられた「一緒にいるか、二度と会わないか」
純子さんにとっては勝負どころの到来だ。それならば心を鬼にしてでも彼を切らなくちゃ、という覚悟を決めて「結婚がないなら、もう(関係性を)やめたい」とメールを送った。今度は隆明さんが判断する番である。
「次に会ったときに、『考えたけど、やっぱり結婚します』と言われました(笑)。こんな短期間で方針が180度変わるなんて不安です。そう伝えたら、『考えて結論が出たことについては(気持ちは)変わらない』と言うので、よくわからないけれど信用しました」
繰り返しになるが、恋愛経験がほとんどない隆明さんは「結婚」を自分事として考えたことはそれまでに一度もなかった。リベラルな母親からは「(恋愛対象が)男の人でもいいのよ」と声をかけてもらっていたらしい。そんな隆明さんも純子さんと一緒にいることは心地よく、離れがたい気持ちにまでなっていた。純子さんから「これからずっと一緒にいるか、二度と会わないか」を急に突き付けられ、結婚生活について初めてわが事として考え、「一緒にいたい」という結論に至った。あれこれ迷う時間は必要なかったはずだ。
結婚してからの隆明さんを純子さんは手放しでほめる。大酒飲みだけどひたすらに優しいからだ。
当初、隆明さんは「子どもは要らない」と話し、純子さんも「それならば2人で楽しく生きよう」と思っていた。新居は純子さんの実家から自転車で20分ぐらいのところに構えたので母親も安心すると考えた。しかし、2人が結婚してすぐに母親は気力体力が明らかに低下。がんが見つかったが、闘病しようとはせず、2021年に他界した。享年70歳。
生前、母親は「私が死んだらあなた1人になっちゃう」と純子さんの身の上を繰り返し心配していたという。
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