英語教師としての経験も糧に、子ども4人東大合格「佐藤ママ流教育」確立の裏側 子育ては18歳まで、「自活」のための親の役割
昔、英語教師をやっていたこともあり、早くやればいいと思っていましたが、子どもを産んでみると、日本語もおぼつかない子どもに英語を教えても効果は小さいと考えるようになりました。海外なら地続きの大陸で親の国籍もバラバラ、自然とさまざまな言語が耳に入ってきますが、島国の日本ではそうもいかないという地理的な問題がまずあります。また、もしきれいな英語を話せるようになったとしても、中身が伴わなければ誰も聞いてくれません。たどたどしい英語であっても、中身がしっかりしていれば聞いてくれるものです。その中身をつくるには、やはり母語である日本語しかないと考えています。
そもそも日本語はなかなか難しい言語です。将来、日本人としてその文化と歴史を担っていかなければならないのに、日本語もおぼつかない状態で中途半端に英語を学ばせても効果は薄い。むしろ、日本語をしっかりと学ばせるほうが先決だと私は考えています。
――算数などでも、その習得の土台には国語力が必要になってきますね。
国語力を身に付けさせるには意外に手間がかかります。本を読むだけでなく、大人と会話するなど積み重ねが必要です。算数も同様です。読み書きそろばんとはよく言ったもので、教育において国語と算数は基本です。例えば、数学では証明を学ぶわけですが、数式で論理的に証明していくことは文章を書くことと同じであり、計算だけできればいいというものではありません。そこにはどうしても国語力が必要になってくる。ですから、国語と算数は子どもたちに公文式でしっかり学ばせました。
――こうした独自の学習方法を確立していくうえで、トライ・アンド・エラーはあったのでしょうか。
子育てはトライ・アンド・エラーの塊です。親はトライすることを怖がってはいけません。私のモットーは「とりあえずやってみる」こと。完璧でなくてもいい。ざっくりとやりながら、修正を加えていけばいいのです。そうやってトライ・アンド・エラーを繰り返す中で、長男でやったことが、次男ではさらに磨かれ、レベルアップしていく。実際、公文式でも3男1女の中で、長女がいちばん進み方が速かったんです。
子どもにやらせてみて、できないと嘆く親もいるでしょうが、それは子どものせいではないし、能力とも関係ないんです。母親は子どもにとって名伯楽であるべきだと私は考えています。高校野球に例えるならば、どんなに弱い高校でも、少なくとも試合で2回は勝てるような監督に私はなりたいと思っていました。
そのためにも子どもには、ケアとフォローが必要です。私はもし子どもが悪い点数を取っても、なぜそんな点数になったのか、一緒に考えようとアドバイスしていました。しつけでは叱りますが、点数が取れず、落ち込んでいる子どもを叱っても意味がない。例えば、算数の場合、子どもと一緒にできなかった文章問題を声に出して読みながら、あるいは絵を描きながら、一緒に考えていました。私もわからないので、わかったふりはしない。12歳まではそうやってフォローしていましたね。
――子育てでは、よく褒めればいいという話がありますが、どのように考えていますか。
「三つ子の魂百まで」というように、3歳までしっかり叱る、または、まったく叱らないと2通りの方法があるといわれています。私も悩みましたが、叱っても1歳の子どもにはわからないので、結局、いっさい叱りませんでした。以降、4~5歳くらいの頃までは褒めもしましたが、小学校に入ってからは、ほとんど褒めることはしませんでしたね。
なぜなら母親が態度を変えることはよくないと考えているからです。私の場合、子どもがテストで高得点を取っても褒めませんし、低い点数を取っても叱ることはありません。そんなときは、なぜそうなったのかを一緒に考えていく。テストで母親の顔が思い浮かぶようでは駄目。そんなことでは、物事を学ぶことはできませんから。母親が感情的になって、子どもに気を使わせてはいけないのです。
――とくに中学受験では、親が子どもに対して感情的になってしまうことが少なくありません。受験に失敗した子どもに対して、どう対応すればいいのか。悩んでいる親御さんも多くいます。
それは何よりも母親が吹っ切ることが必要です。落ちたら仕方がない。縁がなかったと考えればいい。あっさり諦めて、前だけ向く。もし志望した学校に合格できなかったとしても、入学する学校が子どもの母校になるのです。母親が涙を流して、いちばん傷つくのは子どもです。子どもは自分が落ちたことより母親が落ち込んでいるほうが傷つく。大人は泣いてもいけないし、グズグズ言ってもいけない。むしろ合格した学校に積極的に参加していく。保護者会や運動会などに参加して親同士の交流も深めていく。それが子どもを立ち直らせるいちばんの近道です。