2年間の英語教師としての経験が子育てにも生きている

――佐藤さんは大学卒業後、地元大分県の私立高等学校で英語教師をされていましたね。なぜ教師になろうと思われたのでしょうか。

大分で育って大学は東京に行きましたが、実家の母親が寂しそうに見えて。卒業後、結婚するまでは親孝行しようと地元に戻ったんです。でも、大分はたくさん企業があるわけでもなく、たまたま大学時代に英語の教員免許を取得していたので、先生になろうと思ったんです。公立の教員採用試験も受けて合格したのですが、新人は例年、実家から遠い場所に勤務させられてしまう。それでは地元に帰った意味がないと、声をかけてくださった私立高校で英語教師をすることにしたのです。

――ご結婚されるまでの2年間、英語教師をされましたが、その経験が後の子育てに役立っているところはありますか。

すごくあります。教師になるまではずっと教えられる側でしたが、教える側になった途端、見える世界がこんなに変わるのかと思いました。受動的から能動的な姿勢となり、これまでの考え方を変えなければ生徒には何も伝わらない。そのために生徒の気持ちを理解できるように努力しました。

これは子育ても同じで、つねに親の立場から考えるのはよくないと思っています。自分が子どものときに親を見ていた感覚を大事にしながら、自分の子育てに生かそうとしました。立場の逆転は意外に大事なことで、例えば教師にキツイ言葉を投げかけられたら、生徒は傷ついてしまいますよね。年が若い子にかける言葉は、ちゃんと考えないと実力を伸ばしてあげられない。同じように子どもが親の言葉に対して、どう感じるのか。つねに立場の逆転を考えながら、子どもたちに接するようにしていました。

――英語教師の経験から、教え方について学んだことはありますか。

授業では教科書どおりに話しても駄目で、自分の経験に基づいた自分の言葉で語らなければ、生徒には伝わらないと思いました。授業で生徒たちが騒ぐのも、授業がわからないからだと気づいたんです。そのため、少しやさしくしたプリントで何度も練習させました。すると、しだいに静かになって、生徒たちは楽しく授業を受けるようになったんです。

子どもにやる気がなかったり、テストの点数が取れなかったりすると、親は「集中してやりなさい」と精神的に追い詰めるものですが、実はそこには具体的な原因があります。そんなときは、子どもの目線まで下りていって原因を探り、「わかる」という感覚を持たせるようにしたほうがいい。「わかる」と積極的になり、集中し始め、やる気になり明るくなるんです。

――子どもの「わかる」「できる」という感覚が大事だということですね。

高校では英検(実用英語技能検定)を取り入れました。生徒たちは当初は嫌がっていましたが、結果的に8~9割が合格しました。合格した生徒たちの名前を廊下の壁に張り出すと、目を輝かして喜んでいるんです。そのとき英検のような世間の評価も大事だと思いました。子どもは、自分が努力した成果を感じ取れることが自信につながっていく。最近は、子どもの自己肯定感を上げるべきだといわれていますが、こうした成果を積み上げていくことが自己肯定感につながっていくのだとつくづく感じています。

「佐藤ママ流」の教育法はどのように確立していったのか

――ご結婚後、第1子が生まれましたが、当初から教育に対するこだわりをお持ちだったのでしょうか。

第1子を授かったとき、社会に出ても自分の力で食べていけるような子に育てたいと思いました。よく子どもの自立のために「幼稚園の時から一人で靴下を履けるようにする」「小学校なら自分で宿題をできるようにする」と言いますが、自立といっても精神的、経済的、社会的といろいろあり、そもそもあいまいです。そんな自立を子育ての目標にするよりも、どんな時代になっても子どもたちが自分で食べていける「自活」を私は目指すことにしたのです。

よく親は「こんな大人になってほしい」「こんな職業に就いてほしい」と願うものですが、そもそも親と子どもはまったく別人格です。子どもは親とまったく違う人生を歩んでいく。ですから、生きていくための仕事を選ぶときに、子どもたちの選択肢を広げることが親の仕事だと考えたのです。

佐藤亮子(さとう・りょうこ)
大分県出身。津田塾大学卒業。大分県内の私立高校で英語教師として勤務。結婚後、夫の勤務先の奈良県に移り、専業主婦に。長男、次男、三男、長女の4人の子どもを育てる。長男、次男、三男は灘中学校・高等学校を経て、東京大学理科III類に進学。長女は洛南高等学校附属中学校・高等学校を経て、東京大学理科III類に進学。現在、長男、次男、三男は医師として活躍。長女は医学部を卒業して研修医として働いている。その育児法、教育法に注目が集まり、全国で講演を行う。『3歳までに絶対やるべき幼児教育』(東洋経済新報社)ほか著書多数

――公文式は1歳半から、3歳までに童謡・読み聞かせ1万回、リビングでの勉強の習慣化、その一方で早期英語教育は必要ないなど「佐藤ママ流」の数々の子育て法、勉強法があります。こうしたご自身の教育法をどのように確立していったのでしょうか。

長男が生まれてから、どう育てようか考えました。高校3年生までは家にいるだろうけど、その後は自分の人生に向かっていく。そう考えると子育ては0歳から18歳までかな、そう定義することにしました。そして、子どもが40歳くらいになって、仕事も家庭もあって子どももいる年になった頃に、私たち家族で過ごした18年間を振り返って「楽しかったな」と思い出してほしいなと。

では、楽しい18年間にするにはどうすればいいのか。そう考えると、子どもが生まれてからの0~18歳は十分に予測可能ですよね。幼稚園に行って小学校に入り中学、高校、大学に進学するという枠組みが決まっているから先が見えます。だからまずは、日々の基本である学校が楽しくなければならないと考えました。18年間と聞くと長そうですが、赤ちゃんのときや睡眠時間などの時間を除けば、実際には10年くらいの時間しかありません。学校に行っている時間などを考慮すれば、親が子どものためにできる時間はもっと少ないかもしれない。あっという間に18歳になると思ったんです。

――そう考えていくと確かにそうですね。

日本は小学校・中学校・高校と6・3・3制のため、私はその18年間を3年刻みで考えることにしました。まずは1歳半から公文式を始めました。1歳半でやろうと思ったことが1歳のうちにできなくても、3歳になるまでにできればいい。子育てに誤差はつきもの、3年くらいの余裕を持って育てることが大切になってくるんです。また、小学1年生からずっと続く学校での「デスクワーク」に子どもが耐えられるようにするには、環境と習慣が重要だと考えました。そのため、ゲームやテレビについては、12歳までシャットアウト。その代わり、きれいな日本語を聞かせようと童謡と絵本を読み聞かせするようにしました。

子育て中、自分の一日を振り返ると「子どもにご飯を食べさせて、トイレに連れて行って、お風呂に入れて……」と子どものお世話ばかりをしていたなとむなしくなるときってあるんですよね。親も若い時期だからというのもありますが、そうなると「大人として」の成果を求めるようにもなります。そこで私は子どもが3歳になるまでに1万曲童謡を歌い、1万冊絵本を読むということを仕事として自分に課したのです。そうやってノルマをこなしていくことが、結果として子育ての支えとなりました。子育てと仕事を分けて考える人は多いですが、意外と似ているものなんですね。

――最近は、幼少時から早期の英語教育を行う家庭が増えていますが、それには反対の意見ですね。

昔、英語教師をやっていたこともあり、早くやればいいと思っていましたが、子どもを産んでみると、日本語もおぼつかない子どもに英語を教えても効果は小さいと考えるようになりました。海外なら地続きの大陸で親の国籍もバラバラ、自然とさまざまな言語が耳に入ってきますが、島国の日本ではそうもいかないという地理的な問題がまずあります。また、もしきれいな英語を話せるようになったとしても、中身が伴わなければ誰も聞いてくれません。たどたどしい英語であっても、中身がしっかりしていれば聞いてくれるものです。その中身をつくるには、やはり母語である日本語しかないと考えています。

そもそも日本語はなかなか難しい言語です。将来、日本人としてその文化と歴史を担っていかなければならないのに、日本語もおぼつかない状態で中途半端に英語を学ばせても効果は薄い。むしろ、日本語をしっかりと学ばせるほうが先決だと私は考えています。

――算数などでも、その習得の土台には国語力が必要になってきますね。

国語力を身に付けさせるには意外に手間がかかります。本を読むだけでなく、大人と会話するなど積み重ねが必要です。算数も同様です。読み書きそろばんとはよく言ったもので、教育において国語と算数は基本です。例えば、数学では証明を学ぶわけですが、数式で論理的に証明していくことは文章を書くことと同じであり、計算だけできればいいというものではありません。そこにはどうしても国語力が必要になってくる。ですから、国語と算数は子どもたちに公文式でしっかり学ばせました。

――こうした独自の学習方法を確立していくうえで、トライ・アンド・エラーはあったのでしょうか。

子育てはトライ・アンド・エラーの塊です。親はトライすることを怖がってはいけません。私のモットーは「とりあえずやってみる」こと。完璧でなくてもいい。ざっくりとやりながら、修正を加えていけばいいのです。そうやってトライ・アンド・エラーを繰り返す中で、長男でやったことが、次男ではさらに磨かれ、レベルアップしていく。実際、公文式でも3男1女の中で、長女がいちばん進み方が速かったんです。

子どもにやらせてみて、できないと嘆く親もいるでしょうが、それは子どものせいではないし、能力とも関係ないんです。母親は子どもにとって名伯楽であるべきだと私は考えています。高校野球に例えるならば、どんなに弱い高校でも、少なくとも試合で2回は勝てるような監督に私はなりたいと思っていました。

そのためにも子どもには、ケアとフォローが必要です。私はもし子どもが悪い点数を取っても、なぜそんな点数になったのか、一緒に考えようとアドバイスしていました。しつけでは叱りますが、点数が取れず、落ち込んでいる子どもを叱っても意味がない。例えば、算数の場合、子どもと一緒にできなかった文章問題を声に出して読みながら、あるいは絵を描きながら、一緒に考えていました。私もわからないので、わかったふりはしない。12歳まではそうやってフォローしていましたね。

――子育てでは、よく褒めればいいという話がありますが、どのように考えていますか。

「三つ子の魂百まで」というように、3歳までしっかり叱る、または、まったく叱らないと2通りの方法があるといわれています。私も悩みましたが、叱っても1歳の子どもにはわからないので、結局、いっさい叱りませんでした。以降、4~5歳くらいの頃までは褒めもしましたが、小学校に入ってからは、ほとんど褒めることはしませんでしたね。

なぜなら母親が態度を変えることはよくないと考えているからです。私の場合、子どもがテストで高得点を取っても褒めませんし、低い点数を取っても叱ることはありません。そんなときは、なぜそうなったのかを一緒に考えていく。テストで母親の顔が思い浮かぶようでは駄目。そんなことでは、物事を学ぶことはできませんから。母親が感情的になって、子どもに気を使わせてはいけないのです。

――とくに中学受験では、親が子どもに対して感情的になってしまうことが少なくありません。受験に失敗した子どもに対して、どう対応すればいいのか。悩んでいる親御さんも多くいます。

それは何よりも母親が吹っ切ることが必要です。落ちたら仕方がない。縁がなかったと考えればいい。あっさり諦めて、前だけ向く。もし志望した学校に合格できなかったとしても、入学する学校が子どもの母校になるのです。母親が涙を流して、いちばん傷つくのは子どもです。子どもは自分が落ちたことより母親が落ち込んでいるほうが傷つく。大人は泣いてもいけないし、グズグズ言ってもいけない。むしろ合格した学校に積極的に参加していく。保護者会や運動会などに参加して親同士の交流も深めていく。それが子どもを立ち直らせるいちばんの近道です。

子どもの教育における父親の役割は?

――子どもはそれぞれに違うとおっしゃっていますが、4人のお子さんをどのように見て、どのような関わり方をしてきましたか。

基本的には信頼関係を構築するようにしてきました。私の場合は、3男1女がいますが、小学6年生までは男女の区別はいっさい考えずに同じように勉強させました。でも、中学生になると性別の差が出てきます。女の子はよく寝るし、体力がなかったですね。あとは、長女にはより手厚く算数を教えました。私は専業主婦でしたが、これからの女性はもっと社会に出て仕事をしていくことになる。そうした社会で男性と対等に働いていくには、女性が苦手といわれる理数系を勉強すべきだと考えたからです。

面白いことに私の子どもたちには反抗期がありませんでした。母親も子育てで努力しているから、子どももありがたいと思っていたのか(笑)、不思議とありませんでしたね。ただ、もし子どもが反抗期に入ったとしても、だからといって、勉強しないのはおかしい。勉強と反抗期はあくまで別ものなんです。

――勉強以外に運動やスポーツにも取り組んだのでしょうか。

スポーツはさせたほうがいいでしょうね。体を動かすことは大事なことです。私の場合は4人子どもがいたので、小学校まではみんな同じスイミングスクールに通わせました。中学生になってからは、長男はサッカー、次男は野球、三男は卓球、長女は水泳をしていました。子どもたちは早朝練習にも参加していましたよ。

大学に入学して長男と次男、長女は同じ競技を続け、三男はアメリカンフットボールをするようになりました。よく運動部に入ると帰宅しても疲れているから、すぐに寝てしまって勉強できないといわれますが、もし運動部を辞めたからといって、辞めた時間を勉強に充てるとは限りません。むしろ、私の子どもたちは、運動部で真剣に練習して、帰宅して手のひらを返すように勉強していました。メリハリをつけるのがうまかったと思います。得てして、やる気がないと勉強できないと子どもは言いますが、やる気は関係ない。やらなければいけないのだから勉強しなさいと私は言っていました。

――子どもの教育における父親の役割については、どのように考えていらっしゃいますか。

これは家庭によって異なると思いますが、私は専業主婦だったので、私がすべて子育てについては責任を持っていました。教育方針も私が決めて、夫はいっさい口を挟まない。私がバックアップしてほしいときだけ、夫には私のサポートをしてもらいました。

夫は子どもたちの通知表を見たがりましたが、見せませんでした。私は通知表を見て、褒めるでも怒るでもなく、子どもたちには、いつも「お疲れさま」とだけ言っていました。通知表はあくまで他人の評価にすぎません。私は兄妹間で何事も比較をしないという覚悟を持って、いつも言葉には注意していました。でも夫は余計なことを言うかもしれない。だから、見せなかったんです。

――今後のお子さんの進路について、母親としてどう関わっていきたいとお考えですか。

今年3月に娘が大学を卒業して社会人(研修医)になったので、私の子育ては完全に終わったと思っています。これからどうしようかなあ(笑)。今は教育環境が激変している時代。そんなときに若いお母さんがどんな教育をすればいいのか。どんな子育てをすればいいのか。そんな相談やアドバイス、講演をしていければいいかな。そんなことを考えていますね。

もし今後、子どもたちから自分の将来の進路について報告を受けたときは、驚いたり、反対したりしないようにしようと心がけています。母親である私だけは「いいんじゃない」「面白いんじゃない」と肯定してあげようと思っています。周囲が反対しても、母親が肯定してあげれば、子どもは前に進むことができる。それがこれからの私の仕事だと思っています。

(写真:すべて佐藤氏提供)