「とりあえず」で受験を始めると、沼にハマる

私は、これまで20年以上中学受験の世界を見てきました。最初は受験生の親として、その後は教育ジャーナリストという立場で学校や塾を訪れ、校長先生や塾の有名講師への取材を行っています。また、講演会などを通して、受験生の親御さん2万人以上にもお会いし、お話を伺ってきました。

中曽根陽子(なかそね・ようこ)
教育ジャーナリスト/マザークエスト代表
小学館を出産で退職後、女性のネットワークを生かした編集企画会社を発足。「お母さんと子ども達の笑顔のために」をコンセプトに数多くの書籍をプロデュース。その後、数少ないお母さん目線に立つ教育ジャーナリストとして紙媒体からWeb連載まで幅広く執筆。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエーティブな力を育てる探究型の学びへのシフトを提唱。「子育ては人材育成のプロジェクト」であり、そのキーマンであるお母さんが幸せな子育てを探究する学びの場「マザークエスト」も運営している。著書に『1歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)、『成功する子は「やりたいこと」を見つけている 子どもの「探究力」の育て方』(青春出版社)などがある
(写真:中曽根氏提供)

その中で感じるのは、「この道」は一度ハマったら、親子共々なかなか抜け出せない沼のようだということ。

とりあえず子どもを塾に通わせてみたら、案外成績がよかった。そこから欲が出てどんどん受験にのめり込んでしまった……という人もいれば、子どもの成績が芳しくなく、なんとか上のクラスに上げようと親のほうが受験に必死になってしまったという人もいます。

なぜ、よかれと思って始めた受験なのに、子どもだけでなく親も「受験沼」にハマってしまうのか。

それは中学受験が「レールを敷くのは親、走るのは子ども」という二重構造になっているからです。

親のこうあってほしいという願いや教育観で、中学受験が始まりますが、実際に勉強するのは子ども。子どもの成績に一喜一憂したり、塾に行きたくないという子どもへの対応に苦慮したり、詰め込み教育への疑問を感じつつ、やめたら最後と考え、塾通いを強要する自分に葛藤を抱えたり……それでもすべて子どものためと言い聞かせながら、親も一緒に受験というレースを走ることになります。

中学受験を経て同じ学校に通うことになったA君とB君

A君は父親の強い希望で、3年生から進学塾に通い出し、上位クラスをしばらくキープするほど優秀な成績でした。

両親はこれなら難関校も狙えるのではないかと期待していたのですが、学年が上がるにつれて成績が伸び悩むように。深夜まで親がつきっきりで勉強をさせていましたが、思うように成績が上がらず、家庭の雰囲気も殺伐としていきました。

最終的には塾のアドバイスもあって第一志望校を変え、さらに、その年に開校した学校を滑り止めにして受験に臨んだのです。しかし、残念ながら第一志望校には届かず、予想偏差値では安全校のはずだった併願校も、受験生が殺到し合格者を絞ったことから、まさかの不合格に。

急遽出願した偏差値40台の男子校に合格し、そこに通うことになりました。でもその学校はそれまで考えたこともなく、受験日に初めて訪れた学校だったのです。

この結果に納得できない父親が「こんな低偏差値校に行くために何年も塾に通わせたわけじゃない」と、A君の前で塾への不満を口にするようになってしまいます。夫婦関係にもヒビが入り、母親も憔悴しきっていました。

そんな親の様子から、何かを感じていたのでしょう。A君自身も、「こんな学校しか行けなかった」という気持ちをいつまでも引きずってしまい、入学後、周りを馬鹿にするような言動をして友達関係でつまずいたことから、やる気を失ってしまいました。

勉強もしなくなり、入学当初は受験勉強の貯金でキープしていた成績も次第に低迷。成績が上がらないことから、さらにやる気がなくなる……という負のループに陥り、学校も休みがちになってしまいました。

一方、B君は、幼児教室からの延長で通っていた学習塾の進学コースで、5年生から受験勉強を始めました。B君は二人兄弟で、兄は大手進学塾に通い、偏差値60台の進学校に進学していましたが、活発な兄と比べて幼くおっとりしているB君は成績もなかなか上がりませんでした。

両親はB君に合った環境で学べるのが一番と考えて、学校選びを行いました。B君とも受験について、また中学校で何を学びたいかについて話し合い、A君が進学した男子校を第一志望にして受験に臨み、合格したのです。

B君がその学校を志望するようになったきっかけは、学校の授業体験会でした。自分が気になるテーマに関する新聞作りの課題にハマってしまい、終了時間がきても作業を続けていたB君に、担当の先生が「君は自分の考えを持っていて、それを表現する力があるね。時間は気にせず完成させていいよ」と声をかけてくれたのです。

それまで自分に自信を持てなかったB君ですが、先生や在校生の温かい雰囲気が気に入って、絶対この学校に行きたいと思ったそうです。両親も、日々の課題に追われずのびのびと過ごしながら、自分のやりたいことを見つけていける学校がB君に合っているのではと思っていたので、賛成しました。

中学時代はそんなに目立った変化もなかったB君ですが、高校になってやりたいことが見つかってからは、両親も驚くほど自分から勉強するようになり、大学受験では見事、志望校合格を果たしたそうです。

受験軸は「受験生活の土台」となる

同じ学校に通ったのに、2人の様子はまったく違いますよね。この違いはどこからくるのでしょう。

A君の場合は、何のために受験をするのかという受験軸を持たないまま受験をし、親のほうが「こんな学校にしか行けなかった」という価値観を手放せなかったことがこの結果を招いています。ただ、そのことに、親は気づかないのです。

中学受験は、とりあえずで始めるような簡単なものではありません。時間もお金もかかります。子どもが塾に行く生活が始まれば、送迎やお弁当作りなど家族の負担も増えるでしょう。難しい課題に取り組む子どもの家庭学習のサポートも必要です。きょうだいがいれば、その子の生活にも影響が出ます。

いわば、中学受験は長期間にわたって取り組む「家族ぐるみのプロジェクト」なのです。長期プロジェクトだからこそ、「これだけお金と時間、労力をかけたのにこの結果……」という思考にもなりやすいのが、中学受験の怖さでもあります。

受験沼にハマらず、終わったあとで後悔もしない。「やってよかった!」と心から思えるようになるには、「家族で一貫した受験軸を持つこと」が欠かせません。

•頑張っているのに、子どもの成績がなかなか伸びない

•他の子と比べて、子どもの成績にムラがある

•子どもが自分で受験を始めたのに、やる気にならない姿にイライラ…

•受験や生活のことで、親子でケンカが絶えない

受験軸をつくると、こうした悩みも消えるといったら、驚かれるでしょうか。受験軸は「何のために受験をするか」「どう受験するか」という家庭での軸です。

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受験軸がないまま受験に臨むと、子どもが本来持たなくてもいい劣等感を抱いて「自己肯定感」を下げてしまったり、反対に「おかしな優越感」を持ってしまったりすることがあります。「何のために受験するのか」「どう受験するのか」を決めていないため、外部や他者のモノサシに振り回されてしまうからです。

せっかく、子どもによい環境を与えようとトライした受験で、持たなくていい劣等感を抱かせてしまったら、その後の子どもの人生に取り返しのつかない影を落としてしまいかねません。

受験は、その子の人としての育ちの大事な機会になりますが、やり方を間違えるとしこりを残すことにもなりかねません。そして、中学受験では、そのどちらになるかを左右するのは、親の関わり方が大きいのです。

そこで私は、一貫して受験軸を持つことを提案してきました。何のためにという目的を持つこと、そして、目的を達成するためにどうするのか考えて行動に移していくこと。さらに違ったと思ったら軌道修正して、自分のベストを見つけていく。

これは受験だけでなく、その先の人生でも役に立つ考え方です。受験を通してそれを体得できたら最強です。人生の中には、振り返ると「あのとき、あのことがあったから今がある」というような出来事があります。

今、お子さんは、そんな経験をしている最中かもしれません。どんな結果であれ、その経験が次につながる経験にできたとき、中学受験はお子さんにとって、育ちの大事な機会になったといえるでしょう。

(注記のない写真:TY / PIXTA)