主体的に取り組む態度を培う「学習方法への意識」とは

新学習指導要領の「3つの柱」と「評価の3観点」について、国立教育政策研究所は「学習評価の在り方ハンドブック」の中で下記のような図を用いて解説している。

「伸ばしたい3つの力とその評価の観点はほぼ対応しています。『主体的に学習に取り組む態度』も学力の3要素として2007年から使われてきた言葉で、急に新しいことが言われ始めたわけではありません」

そう語るのは、東京大学名誉教授であり帝京大学中学校・高等学校校長補佐を務める市川伸一氏だ。認知心理学の観点から、実践に基づく教育の研究に長く取り組んでいる。

決して降って湧いた話ではないのに、この「主体的に学習に取り組む態度」の評価が教育現場でなかなかなじまないのはなぜなのか。市川氏はもう1点、同ハンドブックから下記の図を示した。

「主体的な態度の評価に当たっては、横軸の粘り強さだけでなく、縦軸で表された『自らの学習を調整しようとする側面』が必要です。言い換えれば、横軸はどれだけ勉強したかという量的な部分で、縦軸は学習の質にかかわる姿勢です」

これは教育心理学の分野では30~40年前から着目されていることだが、教育の現場ではあまり重視されてこなかったという。

市川氏の研究室では30年にわたって地域の子どもの個別相談を受け付け、1対1での対話を続けてきた。始めてみて3~4年目ごろには「学習方法に対する意識が低く、かつそれを自覚していない子どもが多い」ということに気づいたそうだ。

「子どもたちは勉強のやり方がわかっておらず、ただ量的に時間をかけているだけのケースもありました。これは粘り強い取り組みができていても、学習の調整ができていないという状態です」

自ら学習の調整ができるとはどういうことか。市川氏は「自分の理解状態を診断し、それに応じて自分で工夫して学習できること」だと説明する。これは心理学でいうところの「メタ認知」だ。

「例えばサッカーで強くなりたいと思ったら、プレーの方法を研究したり、チームが負けたときには敗因を探ったりして、自己を客観的に見つめながら改善に努めます。でも、それが勉強となるとやみくもに時間をかけることが多いのではないでしょうか。学年が上がるにつれて量だけでは通用しなくなり、質の向上が重要になるにもかかわらず、学校では学習の方法を教えてこなかったのです」

勉強をしても結果の出ない子どもは勉強のやり方自体を知らない場合があるが、そのままでは「自分はどうせやったってできない」という諦めにつながってしまう。また、自ら工夫して学習する姿勢のない状態では、理解不足を補うものは塾など学校外での指導ということになり、家庭環境の格差がそのまま学力格差を生むことにもなりかねない。

まず「わかるとは何か、わからないとは何か」を知る

そもそも「わかる」とはどういうことか。認知心理学ではこの理解をとても大事にしていると市川氏は語るが、学習方法のわからない子どもにとっては、まず「わかる」ということ自体が曖昧だ。わからないところを尋ねたとき、子どもから「全体的にわかんない」という答えが出たとする。これはよく問題視される「わからないところがわからない」という状態だろう。だが「わかった?」と聞かれて「なんとなくわかった」と答える子どもに、「自分の家族に教えるつもりで、今日わかったことを説明してみて」と問うと、答えに詰まることが少なくないという。

市川氏が20年来取り組んでいる「教えて考えさせる授業」、略して「OKJ」では、必ず子どもたちのペアを作って、互いに説明させる時間を設けている。

「その際には、定義と具体例をセットにすることが説明のポイントだということも伝えます。そして『この説明ができたかどうかで、自分がわかったかどうかがわかるんだよ』と教えるのです」

わかるとは何かを知ることで、子どもたちは「わからないとは何か」をも理解することができる。学習の自己調整にはこの両者を明確にすることが不可欠だ。また、きちんとわかることはさらに深い理解にもつながり、長く残る本物の知識をつくる。

「大学受験を終えて、勉強したことをほとんど忘れてしまったという例は数多く報告されています。これは思い当たる大人も多いでしょう。例えば丸暗記しただけの歴史用語や年号はすぐに忘れてしまいます。でも因果関係や理由、前後の流れをつかんで深く理解していたことなら、何年経っても忘れることはありません」

また「OKJ」の振り返りでは、子どもたちに「わかったこと」とともに「わからなかったこと」も書かせる。後者を書かせる教員は少ないと市川氏は続ける。

市川伸一(いちかわ・しんいち)
東京大学名誉教授、帝京大学中学校・高等学校校長補佐。専門は教育心理学。認知心理学に基づく教育のあり方などをテーマに研究している。文部科学省中央教育審議会教育課程部会委員。『「教えて考えさせる授業」を創る アドバンス編:「主体的・対話的で深い学び」のための授業設計』(図書文化社)、『教育心理学の実践ベース・アプローチ』(東京大学出版会)など編著・著書多数
(写真:市川伸一氏提供)

「子どもが『わかった』と言ってくれることは教員にとって気分のいいことです。一方で『わからなかった』とは言われたくないし、子どももそう伝えることをためらってしまう。でも、もし多くの子どもが理解できていないことがあるとすれば、それを明らかにすることは教員にとっても次の指導につながるでしょう」

ほかにも日常の中で、子ども自らが学習を調整する力を伸ばすことができる。市川氏は漢字テストを例に挙げて説明する。

「まったく書けなかったのか、へんやつくりを間違えたのか、それともはねを忘れたのか。ただ間違った字を反復練習させるだけでなく、どう間違えたのかを考える習慣をつけることが重要です。それによって成績は必ず上がってきます。さらに学年が上がると、自分がどんなミスをしやすいかということにも気づくはずです」

ミスを振り返ることの意味が理解できれば、復習すべきところの判断も自発的にできるようになる。テストはそうしたことを見極めて次の対策を練るためのものであり、間違えずに得点を稼ぐためのものではない。市川氏は「間違えたところを子ども自身で振り返り、悔しいと感じたり、次は間違えないぞと思ったりする。まさにそれこそが学習」だと語る。

「中学生ぐらいになれば、生徒に定期テストの振り返りリポ―トを書かせることも有効です。学習の自己調整の力をさらに伸ばすことにもなり、教員からの評価にも生かすことができるでしょう」

「内容指導」に偏らず、適切な「学習方法の指導」を

市川氏は、予習や復習をさせない現在の教育のあり方にも疑問を呈した。

「責任感の強い教員の方から、『授業の中で力をつけてあげたい』という声を聞くことがあります。でも授業の中だけで深く理解し、長く使える学力をつけることは現実的ではありません」

自身の取り組む「OKJ」では、5~10分程度の予習を子どもに課すことがあるが、それだけで授業の理解度が大きく変わるそうだ。新しい言葉は、まったく知らない状態よりも、簡単にでも予備知識を得た状態のほうが頭に入る。また、予習でわからないところがあれば、子どもはそれを明らかにするという目的意識を持って授業に臨むこともできる。

「小学校低学年の頃は授業だけでよくても、いずれはテスト対策や受験勉強など、1人で家庭学習をすることも必須になります。教員には、そうした子ども自らが学ぶ時間と授業時間とを一連のサイクルと捉えて指導してほしいと思います」

学校での指導では教科書に沿った「内容の指導」に偏りがちだが、市川氏は授業で学習のやり方を教える「方法の指導」の重要性を説く。

「年齢が低いときは、何のために勉強するかという目的による動機づけよりも、やったらできたという喜びが学習意欲につながりやすい。教員はその成果が実感できる学習方法を指導し、次第に内容のわからなかった部分を子どもが自己診断できるようになるといいですね」

複数の子どもが集まったとき、中には自発的に学ぶことができる子どももいるが、多くのいわゆる「中間層」はそうではない。この層は言われなければ学習の工夫を考えないが、言われれば考えることもできる。また少数派だが、言われてもやらない層もいるだろう。多数派の中間層に適切な方法の指導をし、その主体性を伸ばすことで、言われてもやらない層への指導により時間を割くこともできるようになるはずだ。

ここまで市川氏が重要だと挙げてきたことは、実社会で求められることにもつながっている。例えば仕事でプロジェクトを担当することになったとき、周辺情報や時流も含めた、対象への「深い理解」は欠かせない。「人に説明してみること」は、そのままプレゼンテーションや報告書づくりの表現力にもつながるだろう。プロジェクトがうまくいかなかったとしても、「何を間違えたかを振り返り教訓にすること」で、社会人としての成長の糧にすることができる。だが実際に学校が長く取り組んできたのは、こうしたことと接続しない、穴埋めクイズのようなペーパーテストだったのだ。

市川氏は「時間をかけても教育現場をよりよくしていきたい」と語る。そのためには実績を見せることが必要だと考え、実践に基づいた提案を続けている。

「学校には情意面のカウンセラーはいても、学習に関するカウンセラーは普通いません。私の研究はそうしたカウンセリングとしての面を持ち、忙しい教員の方がなかなか見取り切れないことを多くくんできたと考えています」

この20年ほどは小・中学校の教員との協働で研究に取り組んでおり、市川氏の考えを現場での指導に生かす人も増えているという。学習の自己調整に注力することで、子どもの学力が向上したなどの結果も表れているそうだ。

「お話ししてきたような手法を取り入れる学校が増えれば、それを見て、『うちもやってみよう』と思う学校がまた増えていくのではないかと期待しています」

一足飛びは難しくとも、少しずつなら変えていけるはず。そのために研究者と学校教員が連携して、できることを続けたいと語った。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:pearlinheart /PIXTA)