赤字鉄道、存続の秘訣は富山県「万葉線」で学べる 「鉄道は必要」、地域の「声なき声」を掘り起こせ
富山県高岡市には交通とまちづくりを軸にJR西日本の城端線と氷見線のLRT化を推進する「路面電車と都市の未来を考える会・高岡(通称:RACDA高岡)」という市民団体がある。
RACDA高岡は、1998年に表面化した加越能鉄道万葉線の存廃問題をきっかけとして活動を始めた団体で、2002年には万葉線を第三セクターとして存続させることへ導いた。鉄道の存廃問題が浮上すると必ずと言ってよいほど起きる鉄道存続運動。その成功の秘訣はどこにあるのか、関係者を取材した。
立ち上がった市民団体
「加越能鉄道万葉線の存続運動は、岡山市の市民団体との交流がきっかけで草の根的な活動から始まりました」――。
現在RACDA高岡の会長を務める小神哲夫氏はそう当時を振り返る。
加越能鉄道(現加越能バス)は、富山県第2の都市である高岡市に本社を置き、近隣のバス路線に加え、軌道・鉄道線の万葉線を高岡駅停留所から新湊市(現射水市)の越ノ潟駅までの12.9kmで運営していた。このうち高岡駅停留所から六渡寺駅までの8.0kmが軌道線の路面電車区間となり、全線にわたって路面電車タイプの小型の車両が運行されていた。
しかし、当時の万葉線は「全国一利用者の少ない路面電車」と言われるほど乗客の落ち込みが激しく、国からの地方中小私鉄に対する欠損補助制度でどうにか運行を維持している状態であった。しかし、この国からの欠損補助制度が1997年度で打ち切られることになり、1998年2月に加越能鉄道は万葉線からの事業撤退を正式表明した。
当時の富山県は世帯当たりの自家用車保有率が全国筆頭のマイカー依存型社会を形成しており、住民の鉄道に対する意識も低いと思われていたことから万葉線の廃止は時間の問題かという絶望的な状況であった。
こうした状況の中で、万葉線を活かしたまちづくりについての可能性を感じていた高岡市内で事業を営む島正範氏が、岡山市の市民団体「NPO法人公共の交通ラクダ(通称:RACDA)」会長の岡將男氏と知り合ったことがきっかけとなり、万葉線活性化に向けての草の根的な市民運動がスタートすることになる。
岡山市のRACDAでは、1995年から次世代路面電車LRTの普及による地方都市活性化を提唱する活動を続けており、会長の岡氏は岡山市内で事業を営む一方で、両備グループが運営する岡山電気軌道の活性化に関わりながら、全国にLRT推進団体のネットワークを広げてきた。こうした岡氏の活動に共感した島氏は1998年4月にRACDA高岡を設立。初代会長に就任した。