国葬「サイレント・マジョリティー議論」の空虚 賛成か反対か、本当の静かなる多数派は誰なのか

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実際、ネット上で「献花もデモもしないで仕事や家事をしていただけの人がサイレント・マジョリティーだよな」というニュアンスの声をいくつか見かけました。日々の生活に追われているうえに、判断しづらいこともあって、関心が薄いまま終わってしまったのでしょう。

かくいう私自身、この立ち位置であり、国葬決定からの混乱を遠巻きから静かに見ていましたし、「賛成」とも「反対」とも言えませんでした。今回のサイレント・マジョリティーをめぐる議論は、私のような人々を置き去りにして行われていることに違和感を抱いてしまうのです。

根底に単純かつ危険な「2択思考」

最後に書いておきたいのは、国葬をめぐる混乱の根底にあった単純かつ危険な2択思考。今回の国葬で言えば「賛成か、反対か」の2択ではなく、「規模や予算によっては」「統一教会の疑惑を晴らしたあとに」などの条件付き賛成・反対の人も多かったのではないでしょうか。

「賛成か反対か」の2択はわかりやすい一方で、「敵か味方か」「正義か悪か」にも似た危険な議論の手法。2択以上のことを考えない思考停止に陥りやすいうえに、「相手を認めず打ち負かそう」とするなどの排他的なところがあります。

もともと「1択しか認めない」という独裁は最もあってはいけないものですが、その次に避けたいのが2択。国葬反対派のデモが行われた現場では、賛否両派が互いの主張を押しつけて罵り合うなど一触即発の見苦しい様子が見られました。単純かつ危険な2択思考が分断につながり、混乱を招いてしまったのでしょう。

今回の国葬に関しては、そのプロセスが賛成と反対の2択思考を生んでしまったところがありましたが、今後の教訓にしていきたいところ。少なくとも政治的なことに関しては、多いであろう無関心層を巻き込めるような建設的な議論が交わされる国であってほしいと願わずにはいられません。

木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

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きむら たかし / Takashi Kimura

テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。

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