インドで1位のスズキ「5位のトヨタ」と提携の訳 小型車のスズキ×電動化のトヨタが生む果実

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

トヨタがインドに進出したのは、1985年のこと。商用車の現地生産を実施したものの低迷し、1997年に事業を一旦、停止。同年に現地のキルロスカグループとの合弁によってトヨタ・キルロスカ・モーターを設立し、乗用車ビジネスに参入した。2014年3月にはインドでの累計生産100万台突破も達成し、25年の歴史を重ねている。

2010年には、約5年もの開発期間をかけてインド専用の小型車「エティオス」を投入するなど、決して手を抜いていたわけではない。しかし、それでもトヨタはインドでシェアを伸ばすことができないでいたのだ。

小型セダンの「エティオス」(写真:トヨタ自動車)

一方で、インド最強の自動車メーカーであるスズキは、トヨタとの協業により「新型SUVを投入し、中期経営計画で掲げた“インド乗用車シェア50%以上”を目指す」という。

GM(ゼネラルモーターズ)やフォルクスワーゲンといった大手グループから離脱しているスズキにとって、電動化や運転支援などの次世代技術は、スズキ一社では手に余る大きな技術だ。それをトヨタと協業することで手に入れ、それを得意なインド市場で利用する。

さらにはインドに留まらず、アフリカなどにも輸出していこうというわけだ。それが、今回のスズキのメリットとなる。

では、なぜそれほどインドでスズキが強いのだろうか。それには、いくつかの理由が挙げられる。

1980年代、国民車構想のパートナーに

もっとも大きな理由は、「スズキが低コストでクルマを作るのを得意とする」ことだ。だからこそ、1980年代にインド政府による国民車構想のパートナーにスズキが選ばれた。当初は、フランスのルノーがパートナーとなる予定であったが、より安価なクルマを作れるスズキが選び直されたという経緯がある。

インドの国民車となる「マルチ800」のベースとなった初代「アルト」(写真:スズキ)

ちなみに、マルチ・スズキ・インディアの“マルチ”とは、ヒンドゥー教の「風の神」に由来する。もともと国有のマルチ・ウドヨグをルーツとし、そこにスズキが合流しているから、ある意味、インド人にとってマルチ・スズキ・インディアは、「インド由来の国民車を作る企業」という側面もある。「自分たちのメーカー」という意識だ。これもスズキが強い理由の1つと言える。

そんなスズキがパートナーとなったマルチ・ウドヨグ(現在のマルチ・スズキ・インディア)は、1983年に日本の軽自動車「アルト」をベースにした「マルチ800」を世に送り出し、大成功を収める。これが、現在のスズキ一強の始まりとなっている。

次ページインドの特異な文化の中で
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事