「ICTが進む学校や教師」を批判する日本の問題点、広がる格差との向き合い方 「無理なく」が最良、効率的なICTの取り入れ方

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研修制度を整えようにも、日々の現場の繁忙さにままならない状態です。であるならば、挑戦できる学校や教師が率先して実践し、そのメソッドを広めていくこと。緩やかにつながり合い、学び合う中で徐々に浸透させていくことがいちばん早く、無理なく広がっていく最良の方法じゃないかと思っています。

積極的なICT実践が難しければ、ゆっくりでもいい。しかし、それを許してくれないのがこの国の公教育でもあります。そうなると、思うようにICT実践が進められない学校や教師は、進んでいる学校や教師を批判し始めます。比べられ、先に行かれてしまうと、あたかも自分が手を抜いているように感じてしまうからです。

挑戦している学校の足を引っ張っていては、この国の教育は変わることも、多様性を保障することもできません。ゆとり教育も、総合的な学習の時間も、理念はすばらしかったのに、結局似たような理由でなかなかうまくいきませんでした。比べない、邪魔をしない。このあたりが、今後の日本のICT教育の成否を分ける分岐点になると思っています。

さて、ここからは私事で恐縮ですが、筆者が公立小学校教員時代に「1人1台端末」環境で積み重ねてきた実践を紹介させていただければと思います。というのも、私はGIGAスクール構想の3年も前から、総務省の研究指定校であった公立小学校で、ICTを推進するポジションに就いていました。

教師になりたての頃から、学校外の人たちとつながりながら学ぶ場に足しげく通っていたこともあり、当時からICTの可能性や重要性をよく理解できていました。すべてが順風満帆だったわけではありませんが、挑戦を許された環境下で多くの気づきを得ることができました。

「ICTはサンマの枠組みを解放するトリガーだ」と私なりに表現するようにしています。

サンマというのは秋においしい魚でもなければ、お笑い界のレジェンドでもありません。「学びには三間(サンマ)が必要だ」と教育界では昔からいわれてきました。3つの間、すなわち「時間・空間・仲間」のことです。この三間こそが学びの可能性を広げてくれる要素であり、逆に言えば学校が「学びの前提」としてきた枠組みでもあるわけです。

ICTをトリガーとして子どもの学ぶ権利を取り戻す

学校では全員、決められた時間に同じ内容を学ばなければなりません。さらには同じ教室、同じ仲間と学ぶことが「学ぶ条件」にすらなっているのです。もちろん、これは「アナログ環境で集団を一斉に教育する」という従来の学校としては、致し方ない面もあったと思います。その環境下で、学びに苦しんだり、学ぶ権利を奪われている子たちが現に存在している。私たちはそのことから目を背けてはいけないと思います。

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