言葉に支配され仲間を殺害 同じ構造は現代にもある 文筆業 深笛義也氏に聞く

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ふかぶえ・よしなり 1959年生まれ。10代後半から20代後半まで現地に居住するなどして成田空港反対闘争を支援。その後ライターに転身、『週刊新潮』の「黒い報告書」などを執筆。著書に埼玉愛犬家殺人事件を取材した『罠』や『労働貴族』『女性死刑囚』がある。(撮影:今井康一)
2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」
2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」(深笛義也 著/清談社Publico/2200円/391ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。
ベトナム反戦運動を鎮圧する機動隊に武力で対抗することを決めた連合赤軍(以下、連赤)。が、軍事訓練を行う山岳ベースでは、強靭な兵士となるための自己批判、相互批判(=総括)に上下関係と暴力が持ち込まれた結果、12人が死に至った。当事者の加藤倫教(みちのり)、岩田平治、植垣康博、前澤辰昌の4氏、事件を題材にした『レッド』を描いた漫画家・山本直樹氏らへのインタビューから事件の意味を問い直す。

「敗北死」の欺瞞を見抜けるか 若い世代の“個人主義”に懸念

──成田闘争に関与しましたが、連赤は意識されましたか。

あさま山荘銃撃戦の後に、いわゆる総括リンチが明らかになった1972年時は中学生で、77年にセクトの1つ、戦旗派に入り成田闘争に関わった。連赤も含め内ゲバを繰り返す党派や企業爆破に走る人々を見て、もっとまっとうに国家権力と戦う、機動隊に正面からぶつかる運動をつくり出せないかと思ったのです。周囲の人々も、連赤を反面教師にしていました。

──それでも“プチ連赤”化。

戦旗派は火炎瓶の時限発射装置を自動車のトランクに仕掛け、成田空港などに打ち込んだ。自動車は市民から盗んだもので、毛沢東の「民衆のものは針一本、糸一筋盗るな」という教えに反しているが、革命的徴発と説明されました。

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