解散権と人事権を封じられ、断腸の思いで退陣する菅首相。だが表舞台から退くわけではない。
自民党総裁選挙(9月17日告示・29日投開票)の幕が切って落とされた。河野太郎行政・規制改革担当相が後継レースの先頭を走っているはずだ。本稿では、菅義偉首相(総裁)がいつ、なぜ総裁選不出馬を決めたのかについて検証する。後継政権の先行きを見通すのに役立つからだ。
菅氏は9月3日に東京・永田町の自民党本部8階会議室で開かれた臨時役員会で不出馬を表明した。時系列でいえば、①同日午前11時13分、首相官邸を発ち、同16分自民党本部着、②同17分から4階の総裁室で二階俊博幹事長、林幹雄幹事長代理と13分間会談、③同34分から40分まで臨時役員会に出席、④同41分同所発、45分官邸着──である。わずか6分間の役員会出席の前に、二階氏と13分も話し合っていた。
各紙は翌日朝刊で大々的に「菅首相退陣へ」と報じた。中でも朝日新聞は「解散、人事、封じられ自滅─人心離れ、ポスト打診不発─二階氏外し派閥に不満」の大見出しを掲げた長文記事の冒頭で次のように報じている。《首相は役員会の直前、二階幹事長と加藤勝信官房長官の2人には「不出馬」の連絡を入れていた。だが、ほかの側近や政権幹部らは一様に「寝耳に水だった」と話した。》
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