コロナ危機は政治の危機でもある。政治不信をはね返すには、超党派での対策断行が必要だ。
東京五輪が終わったが、菅義偉首相のもくろみは外れ、8月初旬のいくつかの世論調査では内閣支持率が30%を割った。五輪での日本選手の活躍で人々はつかの間、厳しい現実を見ないで済んだが、五輪の終了とともに新型コロナウイルスが猖獗(しょうけつ)を極める現実に戻らざるをえない。
五輪のさなかの8月3日、政府は入院治療の対象を限定し、中等症以下の感染者には自宅療養を求める方針を示した。その後、自宅で容体が急変して亡くなる人も出ている。同12日、東京都の新型コロナウイルス感染症モニタリング会議が開かれ、専門家は東京の感染状況を「制御不能」と表現した。多くの国民がこの政権には任せておけないと思うのは当然である。
安心安全な五輪というスローガンが虚妄であったことは明らかだ。しかし、菅首相は就任以来、学術会議問題に表れているように、強弁に強弁を重ねて政策を正当化してきた。自らの誤りを一度でも認めたら、今までの間違いをすべて謝罪しなければならなくなり、権力が一気に崩壊すると恐れているのだろう。野党やメディアとの対話を拒否し、自己正当化を重ねてきた権力者は、難しい政策課題に対して試行錯誤のアプローチをとることができず、外見の威勢とは裏腹に、極めてもろいのである。
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