住友銀行、三井住友銀行、日本郵政のトップとして改革の辣腕をふるった西川善文氏が9月11日亡くなった。享年82。
同氏は、不良債権処理の汚れ仕事で成果を上げた。「ラスト・バンカー」の異名を持ち、同名の著書もある。
1938年奈良県生まれ。大阪大学法学部卒業、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務などを経て、1997年に頭取に就任し、8年間トップを務めた。その後、2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任。政権交代で郵政民営化が後退したため09年に退任。晩年は現役時代の人間関係をほぼ絶ち切っていた。
弊誌では、過去に西川氏に多くのインタビューを行ってきた。そのうち代表的な4本のインタビューを再掲載する。
磯田さんはあの頃おかしくなっていた(2011年)
──息の抜けない仕事の連続でしたか。
破綻処理と再建、あるいはスピードと決断。いつも共通するものがあった。
──住友銀行の行風が性に合っていた?
入行してから10年余り大阪にいた。うち7年近くが、調査部と審査部の企画部門。調査部は、企業の状況を調べて審査部に意見を述べるのがメインの仕事だ。この間に銀行員としてのバックボーンができた。自分の書いた所見を次長クラスの人がマイルドな内容に変えたりする。それでは所見の意味がなくなると、クレームをつけた。
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