東京スタイルは休眠、黒田電気は海外分離、昭栄は劇的改善。それぞれの現在。

アクティビストの村上世彰氏。多くの会社とバトルを繰り広げてきた(撮影:梅谷秀司)
「物言う株主」に狙われた会社はその後どうなっているのか。ここでは主に和製アクティビスト、村上世彰氏に狙われた会社の「その後」を見ていこう(社名や肩書は当時)。
大手アパレルメーカーの東京スタイルは国内初の本格的なプロクシーファイト(委任状獲得競争)を村上氏と繰り広げた。今から18年前のことである。
村上氏は当時、「ファッションビルを建築するくらいなら株主に還元せよ」と主張。だが、東京スタイルの中興の祖・高野義雄社長は頑として村上氏の主張を聞き入れず、高配当や自社株買いを迫る株主提案を2002年、03年と2度にわたってはねつけた。
その後、東京スタイルはどうなったか。09年夏、社長就任から31年目に突入していた高野氏が急死した。75歳だった。急きょ、その後任となった中島芳樹社長は11年央に同業大手のサンエー・インターナショナルとの経営統合を選択。持ち株会社・TSIホールディングスが発足し、中島社長が持ち株会社の社長を兼務した。
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