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『ポール・ローマーと経済成長の謎』 『自己責任の時代 その先に構想する、支えあう福祉国家』ほか

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知識を成長理論に導入、問題は知識経済の代償に
評者・BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎

『ポール・ローマーと経済成長の謎』デヴィッド・ウォルシュ 著/小坂恵理 訳(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
[Profile]David Warsh/1944年生まれ。米『ニューズウィーク』誌でベトナム報道に従事した後、ボストングローブ紙で経済学コラム担当記者として活躍。同紙休刊後は、自らのウェブサイトで経済学を素材にしたコラムを執筆。著書に『Economic Principals』など。

いまや経済成長の源泉が知識にあることを疑う人はいない。が、伝統的な成長理論は、技術革新のような知識は経済と独立に発生すると捉えてきた。本書は、いかに知識が生まれ、どう成長につながるかを説明する「内生的成長理論」の誕生の物語だ。経済学に精通するジャーナリストが経済学者の駆け引きをスリリングに描いた。

実は経済学はスタート時から矛盾を抱えていた。スミスの『国富論』で、「見えざる手」は競争市場のメカニズムを象徴するが、「ピン工場での分業」は、市場規模と専門化の関係を象徴する。もし分業で作れば作るほど安価な供給が可能なら、最初の参入者が有利となり、やがて独占が生じて競争市場は失われる。

後継のリカードやマルサスは産業革命の真っただ中にありながら、市場規模の拡大で分業が広がり、高い生産性につながるメカニズム(収穫逓増)を否定した。その後の新古典派も、現代一般均衡理論も、整合性の問題から収穫逓増を軽視した。戦後も先進国で高成長が継続したにもかかわらず、経済学が収穫逓増ではなく、収穫逓減を前提としてきたのは不思議だ。

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