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Interview|中外製薬会長 永山 治 平成の教訓|製薬|創薬はエベレスト登頂ほど難化

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スイス・ロシュによる株式の過半保有を受け入れる先鋭的な提携を結び、中外製薬の飛躍の基を築いた業界きっての論客、永山治会長。その目に平成の日本の製薬業界や今後の課題はどう映っているか。

ながやま・おさむ●1947年生まれ。71年慶応義塾大学卒業、78年中外製薬入社。92年社長、2012年会長。業界団体トップも歴任。(撮影:梅谷秀司)

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「世界狙うなら研究開発費は最低5000億円」

日本の製薬産業にとって平成は前半と後半で様相が違う。前半は製薬大手が米国など海外に進出し、国際的に躍進した時代だった。だが後半は大型薬の特許が切れる2010年問題があり、創薬でも出遅れていった。

欧米の製薬業界では1980年代から合併が相次いだ。創薬技術でも低分子から高分子の抗体・バイオへのシフトが起きていた。低分子と高分子、両方の研究開発を行うには膨大なおカネがかかる。これができる投資余力をつけるために欧米製薬企業は戦略的に合併で規模を拡大した。

日本の製薬企業はこの流れについていけなかった。バイオなどを研究開発する余力のない日本企業にとって、得意の低分子で勝負し続けるのは常識的な発想だっただろう。

米国にはバイオベンチャーがあったことも幸いした。アカデミアに近い研究をし、臨床試験(治験)でよい結果が出ると製薬大手が高いカネで買い取った。大手はこれでバイオ研究を内部で行うようになる。こうしたエコシステムは日本になかった。

中外製薬は83年からバイオを手掛け始めた。最初からバイオへの流れがわかっていたわけではないが、必要になり抗体技術力を上げていった。バイオで世界に出ると決めたが単独では世界の大手と到底戦えない。それでロシュと戦略提携をした。

日本の製薬中堅には国際展開せずに国内で生き残る道がある。大手はこの選択はしないだろう。いずれよい薬を出し世界の大手と戦おうと思っているはずだ。

大事なのはサイエンスの力

だが製薬でグローバルプレーヤーになるハードルは高い。研究開発費は最低でも年間5000億円は必要。これだと毎年2、3の大型薬を出せる。日本では首位の武田が、シャイアーを買収しても、研究開発費は4000億円台だ。

バイオベンチャーからよい薬の種を買えばよい、と言う人がいるが、バイオをやっていなければ何を買えばいいのかわからない。05~07年ごろに日本でも製薬大手同士の合併があったが、しょせんは低分子と低分子の合併だった。低分子でのチャンスを高めたかったのだろう。

世界の製薬大手と戦うにはバイオなどの研究開発力や世界的な販売拠点を備えなければいけない。

創薬のターゲットは、原因不明の病気の治療薬など、どんどん難しくなっている。登山でいえばエベレスト登頂に挑むようなものだ。

ポスト平成において世界的な製薬企業を目指すなら、サイエンスの力がますます求められるようになる。

(聞き手・本誌:大西富士男)

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