ポール・アレンがNFLで絶大な信頼を得たワケ 第3回 滅多に発言しないが、発言には重みがあった

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(Chang W. Lee/The New York Times)

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2015年に行われたNFL(米ナショナル・フットボール・リーグ)スーパーボウルのキックオフのおよそ24時間前。シアトル・シーホークスのオーナーであるポール・アレンは、アリゾナ州グレンデールのフェニックス大学スタジアムの内側にとまった大きなバンの中から現れ、50ヤードラインのサイドラインに向かって歩いていった。

普段、アレンはレポーターとは滅多に話さない。しかし、晩の冷え込みに合わせズボン、ドレスシャツとシーホークスのロゴ入りのスキージャケットに着替え、サイドラインのベンチに座り、前年優勝に続く2連勝への願望についての取材に応じた。

ビル・ゲイツと共にマイクロソフトを創業したアレンは、2週間前の「NFCチャンピオンシップ」の試合での緊張感あふれる結末をどう切り抜けたかを問われ、彼のチームが勝つ数学的確率を計算していた、と答えた。

「いつもそうしている。私の頭はそう動くようにできている」とアレンは語った(この時のスーパーボウルでシーホークスは、ニューイングランド・パトリオッツに28-24で敗れた)。

10月15日に65歳で死去したアレンは、さまざまな方面で発揮できる知性を持っていた。NFLのチームオーナーたちはリポーターに、自分がいかに熱心なファンであるかを訴え、スポーツについての知識をひけらかしたがる。アレンも(バスケットボールチームの)ポートランド・トレイルブレーザーズと(サッカーチームの)シアトル・サウンダーズの部分的なオーナーだが、ほかのオーナーとは異なり、スポーツの話題だけをするわけではなかった。彼の愛するジミ・ヘンドリックス、脳に関する生物化学への関心、そしてエボラ熱との戦いまで、苦もなく話題を変えることが出来た。

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