現在、日本と中国の安全保障関係を見ると、1962年10月から約1カ月間、中国・インド間で大規模な武力衝突となった中印戦争が浮かんでくる。同戦争が勃発する前の状況が、現在の日中間の状況に非常に似ているためだ。
中印戦争の結果はインドの惨敗であり、しかも同国の国際的地位の凋落を招いた。日本では中印戦争を「平和愛好国家インドに対し、領土的野望に駆られた中国が一方的に侵略した」と理解されがちだ。しかし、実態は大いに異なる。先に手を出したのは、インドだった。
中印間の領土と主権の問題は20世紀初頭、中華民国と大英帝国領インドの時代が発端であり、当時も未解決状態だった。主権問題はチベットをめぐってのものであり、領土紛争は主として東部・西部地域で発生していた。57年、西部の係争地域に戦略道路を忽然と建設したのは中国だった。そして、東部地域の両国暗黙の境界線を越えて軍事力を展開し発砲したのはインドだった。
さらに59年にチベットのダライ・ラマ14世がインドに亡命して以来、インドは一貫して彼の亡命政権を庇護した。これは、中国側の尺度に照らせば、近代中国革命の命題たる「中華天下恢復(かいふく)」を根源的に脅かすものだった。すなわち、「中華の分裂」をインドは扇動したことになる。インドの一連の行為は、中国側からすれば武力行使を発動できる要件を満たしたのである。
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