時の首相が衆議院の解散をいつ決断するか──。政治記者の最大の取材テーマである。私の場合、朝日新聞の政治部に配属されて1年目の1986年が最初の「解散」取材体験だった。当時の中曽根康弘首相が「死んだふり解散・衆参同日選」をやってのけ、先輩記者たちがまんまとだまされたのを目の当たりにした。そのとき、いつか自分で解散をスクープしたいと思い定めた。
その決意が実って、自民党担当だった89年11月、当時の海部俊樹首相・小沢一郎自民党幹事長の政権が「90年1月解散、2月総選挙」を決断したと特報することができた。もっとも最近では、安倍晋三首相が2014年11月に解散に打って出たときは読売新聞などにしてやられた。
解散報道には「べき論」も伴う。「首相の専権事項」という錦の御旗が掲げられる反面、「大義名分がない」「党利党略が過ぎる」といった批判がいつも出てくる。政治力学という現実と、あるべき政治という理想。そこをどう整理して論じるのか。解散報道は政治記者の力量が試されるテーマでもある。
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