コロンブスの西インド諸島到達(1492年)やバスコ・ダ・ガマの喜望峰経由のインド到達(1498年)によって、グローバル資本主義は産声を上げた。欧州資本主義のダイナミズムが世界中に伝播し、中世を終焉させる近代の扉が開いた瞬間だった。
イベリア半島勢こそがグローバル化の立役者
ジャック・アタリの俯瞰によれば、それ以前、世界人口3億のうち半数以上がアジアに、4分の1が米大陸におり、欧州にはわずか5分の1しか居住していなかった。世界の権力地図は、中国が頂点で、アステカやインカ帝国も栄え、そして世界商業を掌握するのはヴェネツィアだった。しかしこの期を境に、「欧州の世界支配」が到来した。
インドという名称は、世界各地に多様に残る(西インド諸島やインディオ、インドネシアまで)。欧州からすれば、インドは「最大の謎」だった。コロンブスはマルコ・ポーロの書物などに刺激を受け地球球体説に従って西回り航路でインドを目指した。イスラム教のグラナダ王国を滅ぼした女王イサベルから資金提供を受けたコロンブスが目指した、アジアの豊穣な富とは、コショウをはじめとする香辛料、絹、漆器、茶、金、銀などで、とりわけコショウは欧州を中世の眠りから目覚めさせたといわれる。
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