会社の部品にならない「新種の老人」という生き方 スープストック創業者が思い描く理想の今後

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「1分の1」の発想でいいんです。分母も分子も無駄に100ある必要はなくて、自分が生きていく分にはこれくらいでいいという、1分の1の座りのよさを知ってほしい。大きくもなく立派でもないけど、その代わり楽しいとか朗らかだとか。自分の足元を見て小さく設計して幸せを実感できれば。会社という部品に人生の主役を明け渡すなんて、めっそうもない。

100歳までは仕事をするつもり

──「100よりも1000のほうが偉いという価値観がない」と、以前ある対談で話していましたね。

スープストックトーキョーも当初から50店で打ち止め宣言をしていました。数が増えるほど価値が毀損していく感覚があって、渾身の1枚を描き切れ、みんなが称賛してくれたらそれが成功。売り上げや利益はガソリンで、車を走らせるために稼がなきゃいけないけど、大事なのは誰を乗せてどこへ行って何をするか。

お客様が店を出るとき、お礼と共に「またのお越しをお待ちしています」と声をかけ、それを背中で受け止めコクンとうなずいてくれたりすると、うれしくて1日の疲れも吹っ飛ぶ。

規模が大きくなるほど分業になり、自分の役割は1つのパーツになっていく。小さいほうがまるっと自分を重ねられ、納得感や愛情が湧いてくる。それがやりがいってことじゃないかな。今私は会社の事業をほぼスタッフに委ねていて、アイデア出しももうやらないほうがいいな、と思ってる。1人ひとりが言い出しっぺになって、自分の仕事としてやったほうが喜びがあるし、やる気も出るしね。

──そして今年、還暦記念で提唱されたのが「新種の老人」。

100歳までは仕事をするつもり。23歳で仕事を始めたから、60歳は真ん中よりちょっと手前、サッカーならハーフタイム。後半戦どうしようかってとき、今までの延長線上で資本主義的な拡大や右肩上がりの船に乗り続けるのは、たぶん違うと思ってる。もうちょっと自分の感覚に忠実に活動していこうかなと。

そのために個人会社「とおい山株式会社」という器と、新種の老人という概念をつくってみた。両方とも実験で、まだ中身はありません。新種の老人を補足説明するなら、ノーミッション、ノー定義。名乗った人がその定義づけをすればいいし、何かやろうとするときの手形にすればいい。

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