「妻、小学生になる」にすっかりハマった人の目線 物語の切実さが俳優たちの本気度と重なり胸を打つ
毎田がこれほど大人に見えるためには、周囲のバックアップも大きい。彼女の相手をする堤真一、吉田羊という名優が、懸命に貴恵を演じている毎田に本気で向き合っている真剣勝負の空気がこの荒唐無稽なドラマに真実味を与えている。彼らの目の先にほんとうに貴恵がいるように見えるのだ。
例えば、堤真一と石田ゆり子で夫婦愛のドラマを作ったら上等すぎて落ち着いたものになるだろう。小学生の姿をした妻と中年の夫が懸命にお互いを大切にし合うからこそふたりの愛情や信頼関係がいっそう麗しく見えるし、娘とうまく接することのできなかった母が、カラダは娘でも心は自分よりも年上の女性と向き合うことで、静かに内省していく。当人に直接触れることができないもどかしさのなかで愛が際立っていくのである。
大切な人を亡くし、残った者の気持ち
「もし妻が小学生になったら?」的なライトなコメディーかと思わせながら「つましょー」はじつはとても切実なものを抱えている。大切な人を亡くしながらこの世に生き残った者の気持ちである。
貴恵を亡くしてから生きる気力をなくし10年間も過ごしてきた圭介と麻衣。彼らが心配で成仏しきれない貴恵。その思いの強さが小学生に転生するという奇跡を生むというなんとも切ない話なのだ。圭介と娘の麻衣のみならず、圭介に思いを寄せる守屋にも大切な家族への思いがある。
また、圭介たちの行きつけの寺カフェのマスターであり僧侶(柳家喬太郎)には霊が視える。この世の人たちに聞こえない言葉を聞くことができる。死者との邂逅。生まれ変わりの希求。子どもへの不器用な感情……人間が生きている限り切り離すことのできない、愛する人の幸福を願いながらずっと一緒にいたいひたむきな思いは、子どものカラダの中に大人の心が入っているというありえない状況を決して白けさせてしまわないように緊張感を途切れさすことなく演じ続ける俳優たちの本気度と重なる。細くもろい糸をつかむような切実さが「つましょー」の本質として私たちの胸を打つのだ。
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