「ですが、実はほんの短い期間ですが、ここから支線が延びていたことがあるんです」(松下駅長)
松下駅長が教えてくれた支線とは、啓志線という。もとは戦時中に建設された陸軍第1造兵廠への専用線。造兵廠は今では陸上自衛隊練馬駐屯地になっている。この専用線は戦後になって数奇な運命をたどる。
「終戦後、今の光が丘のあたりにアメリカ軍専用の住宅地を建設することになりまして、資材運搬用として専用線を延伸しました。米軍住宅はグラントハイツとして完成し、それからはガソリンカーを走らせて住んでいるアメリカ軍の人たちを運ぶ旅客輸送も行っています。実現はしませんでしたが、東京駅まで直通する計画もあったようです」(松下駅長)
啓志線の名の由来は、グラントハイツ建築の責任者だったケーシー中尉にちなんだものだとか。ただし、啓志線における旅客輸送は1947年6月から翌年2月までのほんの短い期間で終わっている。その後はいつの間にか線路も撤去され、跡地はマンションなどに生まれ変わってほとんど痕跡は残っていない。東上線との分岐地点あたりを歩いてみたが、「このへんかなあ、地図だと」という程度のことしかわからなかった。
「それがあったんです。啓志線のレールが自衛隊の練馬駐屯地に残されていたということで。練馬区北町地区の中学校・小学校と、あとは区民館にもそのレールが展示されていますよ」(松下駅長)
東武練馬駅の所在地は板橋区
わずかに残された往時のレール。それが啓志線がこの地を走っていた唯一の“証し”といっていい。たったの80年近く前のことだというのに、時代の流れは残酷なものだ。と、せっかく残っているのだから見に行きたい。区民館はどこにあるのですか? というか上板橋駅は板橋区ですよね……。
「練馬の区民館は東武練馬駅の近くです。東武練馬駅はコロナ前で1日の乗降人員が約6万人。北池袋―下赤塚間ではいちばんご利用の多い駅なんですよ」(松下駅長)
下板橋駅は豊島区と板橋区のほとんど境界にある駅だったが、東武練馬駅の場合は練馬区と板橋区の境界に駅がある。駅の北側は板橋区、南側が練馬区になっている。
「東武練馬駅が開業したのは1931年のことですが、その時点ですでに西武鉄道に練馬駅がありまして、それで東武練馬駅になりました。駅の住所は板橋区なんですが、南口をご利用になる方はほとんど練馬区民ですね。練馬区はジャパンアニメ発祥の地として各駅にアニメのキャラクターをあしらった観光案内板があるのですが、東武練馬駅にもちゃんとあるんです。『魔法使いサリー』の」(松下駅長)
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