障害に負けず伝説となった「3人の音楽家」の輝き 交通事故で腕を失った後に再起したドラマーも
その言葉で「世界が変わった」と感じたトニー。左利きの彼にとって、ジャンゴ同様、不自由になったのは弦を押さえる方の指。それを補うため、洗剤のプラスティック容器を溶かした指サックを自ら作り“義指”とし、血の滲むような練習を繰り返したそうです。
それでも押さえる力が弱く、思うように演奏できなかったため、弦を極限まで緩く張り、独自のチューニングも施しました。それが、ブラック・サバス特有の重く引きずるような、ヘヴィメタル・サウンドを生むことになるのですから、正に運命の逆転劇ですよね。
片腕を失ったリック・アレン
さらに、同じイギリス出身のハードロックバンド=デフ・レパードにも、障害を乗り越えたメンバーがいます。彼の名はリック・アレン。バンドのリズムの要であるドラマーです。
1983年、彼らにとって3枚目のアルバムが大ヒットを記録した翌年の暮れ、リックは交通事故を起こし、左腕を肩から切断するという大怪我を負ってしまいます。
ドラマーとしての復帰は無理と判断したリックは、引退を覚悟しますが、バンドの仲間たちは「君の復帰をいつまでも待つよ」と声をかけたそうです。そしてドラム・メーカーに協力を仰ぎ、右手一本でも遜色なく叩けるドラム・セットを開発。
これまた血の滲むような練習を積み、4年以上の歳月をかけ、バンドに復帰。そしてリリースした4枚目のアルバム『ヒステリア』は、全世界で2500万枚以上というモンスター級のヒットを記録したのです。
このときのワールドツアーの一環として来日公演を行ったデフ・レパードを、筆者は国立代々木競技場第一体育館で観ましたが、サポートメンバーも使わず、懸命にドラムを操るリック・アレンの姿に涙したことは忘れられません。今も彼はデフ・レパードのドラマーとして活躍中です。
パラリンピックの父であるルートヴィヒ・グットマン医師が、患者たちに投げかけた「失われたものを追いかけるのではなく、残された機能を伸ばそう」という言葉を体現したミュージシャンたち、そしてパラリンピックで躍動したアスリートたち。彼らには畏敬の念を抱かざるを得ません。
パラリンピックを堪能されたのと同様、彼ら“パラ・ミュージシャン”たちが紡ぎ出した音楽に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
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