和歌山が「モビリティ変革」の震源地となる理由 モビリティ産業不毛地帯で活躍するベンチャー

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筆者は「なぜ、和歌山で?」の疑問を解くため、glafit本社を訪問し、鳴海氏から直接話を聞いた。

本社所在地に着くと、そこは中古車などを販売する事業所で、その敷地内にglafitとファイントレーディングジャパンという企業が入る建物がある、いかにも地元の会社という雰囲気だ。

glafit本社所在地は鳴海氏が20年以上にわたり拡大してきた自動車販売・修理の事業所がある(筆者撮影)

まず、モビチェンの反響については「とても大きい。嬉しい反面、驚いている。(市場やメディアからの声は)いいことだけではなく、疑問や質問を含めて、大きな反響なので」と心境を語った。

「オリジナルのクルマを作ろう」からの挑戦

鳴海氏は、和歌山生まれの和歌山育ち。インターネットが普及する前、高校1年のときにアパレル販売を始め、大学時代にはオリジナルPCの販売事業を手がけ、その資金を元手にクルマ好きが高じて中古車事業を起こす。

その後、ホイールなどカスタマイズ商品を手がけ、2008年には中国で自動車関連の企業を、また日本ではファイントレーディングジャパンを設立してLEDライト、オーディオ関連、車載カメラなどのオリジナル商品を企画販売するようになったという。

ここまでの話では、地元和歌山の叩き上げ商売人であり、大学の研究者がスピンアウトするアメリカ・シリコンバレーのITベンチャー経営者というイメージではない。

glafitとファイントレーディングの本社前にて、鳴海禎造社長(筆者撮影)

そうした中、2011年ごろに最初の転機が訪れる。将来構想を社内で協議した際、「自分たちのオリジナルのクルマを作ろう」と自動車メーカーを目指す動きが生まれたのだ。それが当時、まだ企業ではない、社内プロジェクトのglafitだった。

手探り状態で約3年間、4輪EV(電気自動車)を研究開発し、自社で型式認定の取得を考えていたが量産化には至らなかった。

4輪EV計画によって社内の研究開発の基盤が固まってきた中で、2015年からペダル付き電動原付きの2輪車事業へと方向転換。国内で販売されていた各種の電動バイクを分析し、価格と性能のバランスからユーザーの利便性を熟慮した結果、ヨーロッパや中国などで普及しているペダル付き電動原付きというカタチとなったという。

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