論破王ひろゆきが指摘「反論されがちな人」の特徴 「絶対」「必ず」と口にする人は足をすくわれる
会話は返しを想定しながら
じつは、議論で選択できる反論パターンというのはそんなに多くありません。
普通に会話していても、「相手がどんな返しをするのか」ということは、ある程度想定しながら話していますよね。裏を返せば、「いい天気ですね」に対して「うんこ食べたいですね」と返ってくることは、想定していないわけです。普通は「はい、そうですね」とか「いいえ、違いますよ」とか、まず肯定か否定かの二択から入って、そのあとで会話の材料を小出しにしていきます。
「こういう球がきたら、こういう球を返そう」と想像しながら話していると、反射的に投げる球も決まってくるわけです。
要するに、自分が話している最中から相手が何を返してくるかある程度想定して、次に投げる球を用意しておくわけです。
たとえば、おいらはスイカに塩をかけるのが嫌いなのですが、スイカに塩かける派の人は、よく「塩をかけるとスイカが甘くなる」と言います。塩じたいは甘くないから、甘くなるというのは当然ながら「ウソ」ですよね。
まず、「別にスイカじたいは甘くなっていないじゃないですか?」という「事実」の球を投げます。ただその球に対して、「でも、スイカが甘く感じるからこっちのほうがおいしい」という球が返ってくるのは、すでにわかっているわけです。
甘くなる派のほとんどは「うちの家では……」というような「習慣」に基づいているわけです。つまり、別に甘くなるから、おいしくなるからではない。
そこで、「じゃあ、イチゴに塩かけます? じゃあ、チョコレートに塩かけます? それって、習慣だけじゃないですか?」という反論を用意しておくわけです。これで相手は「う〜ん」と言葉に詰まって、「はい、終了」です。
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