震災から10年「原発事故」が抱える未解決問題 汚染水や燃料デブリなど多くの課題を抱える
最も難しいとされるのが、1号機である。燃料デブリの状況を確認できていないからだ。使用済み核燃料取り出しの開始は、はやくても2027年度が予定されている。その前には瓦礫の撤去をする必要があるが、撤去の際に汚染されたダストが飛散するのを防ぐため、1号機を覆う大型カバーを建造しなければならない。その大型カバーの完成が2023年度の予定である。
調査が進んでいる2号機では、ロボットアームで燃料デブリを取り出す計画だ。電力会社や原子炉メーカーがつくった国際廃炉研究開発機構(IRID)が、ロボットの開発を進めている。
廃炉作業に挑む人たちの確保やケアも
計画どおりに進むのかはわからないが、こうした困難な廃炉作業に挑む技術者や作業員たちの確保とケアも、廃炉の過程で重視されるべきだろう。原子力共同体は優秀な人材が集まらなくなることを危惧しているようだが、廃炉に関わる仕事は決してネガティブなものではない。
20世紀の人類が模索した核エネルギーの民事利用を着実に終わらせていくという責務がある。また、放射性廃棄物の長期にわたる管理にも、同様の意義があるだろう。
原発や核燃料サイクルへの賛否にかかわらず、日本社会は放射性物質というやっかいなものと向き合い続けなければならないからだ。
原発災害を忘れさせようとする力と、忘れたいという願い。両者が手を取りあって、原発や原子力施設、および廃炉の過程が再び私たちの視界から外れつつある。同時に、核兵器の問題も、教育の場や「八月のジャーナリズム」をとおしてしか意識されない。
核エネルギーを利用するシステムのなかで生きながら、それに目を閉ざすという状態に戻るならば、構造的差別という問題は温存され続けるだろう。それが果たして生きやすい社会なのかどうか、2011年から10年後のいま、改めて考え直してみたい。
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