中国との付き合い方、ベトナムに学べ! 武部勤氏が説く「挑発に乗らない知恵」

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――今回、ベトナムで中国による石油掘削直後から反中デモが勃発しています。その影響はどうですか。

武部 確かに中国系企業が撤退するなどの多少の経済的な影響はあったでしょう。しかし彼らはすでに経験していますからね。南北ベトナムが統一した時に私企業が国営化され、華僑が経営していた企業も接収されることになりました。その時、中国は華僑資本を一斉に国外に撤退させたのです。この時のベトナム経済の痛手は大きかった。でもそうした学習効果から、今回も中国企業がベトナムから撤退しても、経済に大きな混乱をもたらさないと思います。

幸いなことに、ベトナムは中国以外の国との関係は良好です。フィリピンも中国に海域を侵奪されていますので、ベトナムと領有の主張で重なる海域があるにもかかわらず、とりあえず手を組みました。

日越関係も極めて良好です。昨年は国交正常化40周年に当たり、今年3月にはチュオン・タン・サン主席が国賓として来日されました。安倍首相との日越首脳会談では、両国の「広範な戦略的パートナーシップ」を発展させることで合意に至っております。

東南アジアの国々が安倍首相のリーダーシップに対して抱く期待はとても大きいといえます。そもそも現代では、1国で安全保障を確立することは困難です。ましてや中国とベトナムのように国力に差がある国家間で紛争が起こった場合、バランスをとるのが非常に難しい。他の関係国の力などさまざまな要因が働いて、ようやく決まるものですから。

阿部仲麻呂以来の関係

武部 そうした意味では古来より、日本とベトナムは歴史的な繋がりを持ってきたよき友人であるといえます。奈良時代、遣唐使だった阿部仲麻呂が長安から日本に戻る際に難破し、安南に漂着しました。帰国こそかないませんでしたが、その後に阿部仲麻呂は安南節度使など重職を務めています。また1601年に徳川家康がベトナム南部の将軍であったグエン・ホアンから書簡を受け取り、約40年間交易を行っていました。ホイアンを拠点に、日本人街が作られたこともあった。それほど交流は盛んでした。

近代ではファン・ボイ・チャウやファン・チュー・チンが1905年、日露戦争で日本が勝利したことにあこがれて、当時ベトナムの宗主国だったフランスから独立するために日本に武器援助を求めてきました。

これに対して大隈重信や犬養毅は、武器援助を断りました。しかしそれ以上に大事なことで応援してやろうということになり、人材育成のためにベトナムから留学生を迎えることにしたのです。これがドンズー運動(東遊運動、20世紀初めベトナム人青少年を日本に遊学させようという運動)です。いまもベトナムにドンズーという名前の学校がありますよ。

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