カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ 事実より「何を感じるか」が大事だとどうなるか

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そこで、『クララとお日さま』では、私たちが昔から前提としてきたものの存在意義が、テクノロジーと科学により揺さぶられる世界はどういうものか、想像してみたのです。

――デジタル化によってビジネスモデルが変容し、結果的に格差などが広がる中で、資本主義の限界を指摘する人もいます。

これはむしろ、自由民主主義はどの程度盤石なものなのか、という話ではないかと思います。資本主義は私たちの経済的側面の問題ですが、自由民主主義はそれを包括したより大きなシステムであり、私たちの自由や価値観を支えるものでもあります。

自由民主主義は私の両親の時代に、20世紀の半ばまでに起きた数々の悲劇と痛みを経て生まれました。その後に生まれた私の世代は、自由民主主義が成長する過程に生きてきて、これが永遠に続くものだと思っていましたが、実際は違うのです。自由民主主義とは尊くも脆いものなのです。

中央集権型モデルが台頭する可能性ある

今では自由民主主義を脅かすものがたくさんあります。自由民主主義の国でなくても、成功している国が出てきていますし、例えばビッグデータやAIの登場によって、過去には国民に食料や衣料などを平等に提供できず崩壊してしまった中央集権型モデルが再び台頭してくるかもしれません。

『クララとお日さま』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします)

国のシステムも産業革命をベースとしたものから、データをベースとしたものへと変わりつつあります。データは誰の所有物でもありませんが、かつての石油や綿花のようにコモディティ化され、成功するうえで非常に重要なものとなっています。

一方で、今やアマゾンのような企業は膨大なデータを所有しており、こうした大企業はとてつもない力を持つようになっていますが、現在の資本主義の中ではこうした企業を規制することはできません。

データは私たちに関するものなのにもかかわらず、コピーライトがあるわけでも、値段がついているわけでもありませんが、私たちのプライバシーや暮らしにおいて重要なのは間違いありません。そういう意味では、私たちは非常に興味深い岐路に立たされていると言えます。

倉沢 美左 東洋経済 記者

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くらさわ みさ / Misa Kurasawa

米ニューヨーク大学ジャーナリズム学部/経済学部卒。東洋経済新報社ニューヨーク支局を経て、日本経済新聞社米州総局(ニューヨーク)の記者としてハイテク企業を中心に取材。米国に11年滞在後、2006年に東洋経済新報社入社。放送、電力業界などを担当する傍ら、米国のハイテク企業や経営者の取材も趣味的に続けている。2015年4月から東洋経済オンライン編集部に所属、2018年10月から副編集長。 中南米(とりわけブラジル)が好きで、「南米特集」を夢見ているが自分が現役中は難しい気がしている。歌も好き。

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