「雑談で笑いを取れない人」が知らない基本原則 日常の出来事を「おもしろい話」にするポイント
では、どのように聞き手は、話し手の感情を補正しているのでしょうか? 補正の根拠としているのは、話を聞いた時に湧いてきた聞き手自身の感情と、あらかじめ聞き手が抱いている話し手への先入観の2つです。例えば、次の会話の傍線部が、この話を聞きながら私が抱いていた感情です。
→(痛そうでかわいそう!)
→(こんな背の高い男子でも、電車でトラブルに会うのか。世の中物騒だな。しかも迷惑ギャルに捕まったのか。災難だな……)
→(ふーん、やっぱりね。そういう迷惑な人、腹立つなー! しかもよりにもよって、そんな靴で小指を踏まれるって、痛そう!)
→(あの痛みは、本当に後を引くんだよな~! かわいそう!)
→(ギャルも少しは常識あるんだね。でも、謝られても痛いもんは痛いよな~。だど、こっちが折れるしかないよな。ストレス溜まりそう、その気持ちわかるよ!)
→(いや、ひどい話だよ! そこまで恐縮することないよ!)
行動のみを語ると聞き手に起こること
いかがでしょうか。理解はできていますが、特段、おもしろく感じる部分はないと思います。むしろ、「かわいそう」とか「怒り」のような感情が前面に出てきています。
相手が自分の感情を推測してくれるなら、勝手におもしろく伝わることもあるのでは? 実は、そんなに甘くはないんです。そのカギは、相手の「先入観」にありました。
さて、本題に入りましょう。なぜこの話がそれほどおもしろくないのか。それは、私がこの「行動しか述べられていない会話」を、メガネ男子への先入観および自分に湧いてくる勝手な感情だけで理解した結果、「ただ単にネガティブなだけの会話」になってしまったからです。
「真面目そう」「気が弱いわけじゃないけどおとなしい」「騒ぎを大きくするのは嫌いそう」といった、私のメガネ男子に対する先入観に沿ったありきたりな解釈になってしまうのです。
つまり、話し手が自分の感情のあり方まで他人に委ねてしまうと、「異常なことが、あたかも普通に行われている状態」=「ズレたカツラ理論」=おもしろい話は生まれないのです。だから、行動のみを語るのはダメなのです。
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