初任が「特別支援学級」だった教員の動揺と救い 当初感じた「疎外感」と芽生えてきた「やりがい」

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とはいっても、一般のクラスの担任を持ちたいという気持ちはその後の数年は変わらずあって、しばらくは校長に希望を伝えていました。それでも願いはかなわず、そうこうしているうちに5年が経とうとしていました。初任の学校は最長で5年なんですが、その時期が近づいてきていろいろと考えるようになりました。本当にいろんなことです。

自ら特別支援学級を希望

特別支援学級って、いろんな子がいるのでひとくくりにできませんが、例えばハサミを上手に使えない子が真っすぐきれいに紙を切れるようになるとか、できなかった掛け算ができるようになるとか、そういう子もいます。それだけで子どもたちの世界って変わるんです。それを喜々として語るんです。そこに立ち会えるのって幸せなんですよ。

中学生の本分って生意気なところかもしれないですけど、特別支援学級ではそういう生意気さというのはないんですね。むしろ、取り組んでいるレベルとしては小学生の延長線上かもしれません。それでも目の前でそういう出来事があると、うれしくなってしまうんですよね。

私の今の学校では、特別支援学級の子は週に2、3時間は一般のクラスに交じって同じ授業を受けることがあって、イベントでは一般のクラスと一緒になるんです。でも、そうなるとやっぱりうまくいかないことが多い。体育祭で大縄跳びが跳べない、合唱コンクールで音程が合わない。そういうことがあると、冷たい視線が飛んでくるし、実際に嫌なことを言われたりするんです。クラスのみんなで一つのものをつくり上げようとして、うまくいかない原因が明らかであれば、そりゃそうですよね。冷たい視線を飛ばす子の気持ちもすごくよくわかる。

でも、その一方で、障がいを理解して、助けてくれる子も出てくる。肩を持つような発言をしてくれたり、大縄跳びのコツを説明しようとしてくれたり。それでまたクラスの雰囲気が変わったりする。それはそのクラスの成長のタイミングだったりするんです。

それと、実際的な考え方の変化もありました。各教科ごとに研究会というものがあって、近くの学校から同じ専門を持つ先生が参加するんですけど、特別支援学級もあるんですね。その研究会も新任の頃、すぐに誘われましたが、しばらく断っていました。正直なことを言うと、一度入ったら抜けられなくなると思っていたんですね。そのときはすぐにでも一般のクラスを担当したいと考えていましたから。

でも断り続けるのも難しくて、研究会にも参加するようになったんですけど、やはり参加した分だけ少しずつ知識が深くなっていくんです。数年経つと新しい先生たちからの相談にも乗れるようになってきました。そうやって少しずつやりがいを感じるようになったんです。

そんなことがあって、次の学校に行くときには、自分から特別支援学級を希望しました。新しい学校に来て、もう4年が経ちます。

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