ハリウッドから「中国が悪者」の映画が消えた訳 逆にどんどん増える「中国人が大活躍」の映画

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そして、中国が映画の興行収入で日本を抜いたのが2012年である。

中国の影響力はハリウッドにとどまらず、スポーツを含めたエンターテインメント全域に及んでいる。中国のソフトパワーは、今日も肥大化している。

中国がコンテンツ供給国になることはできない

製作資金と観客と興行と撮影設備まで、世界最大のものを備えた中国は、興行面では確かに映画大国だろう。しかし、それでは中国が世界のコンテンツ市場で覇権を握ったかといえば、そんなことはない。中国が世界のエンターテインメントを牽引しているかというと、そんなこともない。

なぜか? 中国から世界へ出ていくオリジナルがないからだ。

資金面でも興行面でも圧倒的な地位を獲得しているが、映画の最重要な要素である「創作」が、世界標準を満たしていない。

なぜか? 表現の自由がないからだ。

中国は人口が多いので国産映画にも十分な集客力がある。500億円規模の興行収入を上げる国産の作品も出てきており、全世界興行収入でも上位にランクインしている(海外配給も行われている)。しかし、大部分は国内収入で、海外で稼いでいるわけではない。

表現が統制されている、管理されている、それらの持つ意味は、とてつもなく大きい。

中国で『英国王のスピーチ』(2010年)が創られることはない。恋のために在任1年足らずで国王の座を放棄した国王や、吃音に苦労する国王が描かれているからだ。中国で指導者をこのように描くことはありえない。『くまのプーさん』さえ、習近平国家主席に似ているという理由だけでNGの国なのだ。

当然、タイトル通りの『大統領の陰謀』(1976年)もダメだろうし、大衆を共感させるトム・クルーズ氏主演の反戦映画『7月4日に生まれて』(1989年)もダメ。政治・社会ネタだけでなく、『ビッグ・ウェンズデー』(1978年)のようなサーフィンを題材にした爽やかな映画も、そのなかで兵役拒否が描かれているからダメだろう。

つまり、ほとんどダメなのだ──。

批判精神をもって時代を切り取ることに、映画の1つの大きな意義がある。

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