不器用な子が「暴走する大人」になる1つの経緯 「生きづらさ」を見逃された子どもの"その後"
こういった大人があなたの職場や近くにいたらいかがでしょうか? 大人のくせに、もっとしっかりしてほしい、と思わないでしょうか。生きづらかった子どもたちは、そのまま大人になるとこのように“不器用な大人たち”と見えてしまうことがあるのです。
子どもが学校にいる間は先生の目がまだ行き届き、なんらかの支援を受けられる可能性もありますが、学校を卒業するともう誰も目をかけてくれません。
「大人になっても生きづらさのある人なら、周囲が気づいてくれて、支援を受けられるのではないか?」と思われるかもしれません。しかし、それは大きな誤解です。たとえ「生きづらさ」を持っていたとしても、日常生活を送るうえでは、一般の人たちとなんら変わった点が見られないのです。
友人とショッピングや飲食をしたり、コンサートに行ったり、運転免許を取ったり、簡単な仕事はできたり……と、通常の生活はできるため、「生きづらさを持っている人」として気づかれることはほとんどありません。
しかし何かトラブルやいつもと違うことが起こったりすると、様子が変わります。例えば、「これまでやっていたやり方を変えて」と言われても、「いつもこうやってきたので」と頑として譲らなかったり、いきなりキレたり、他者から親切心で言われたことを「小馬鹿にされた」と感じて不機嫌になったり、簡単にうまい話に乗ってだまされたりしてしまうなど、うまく対処できなかったりするのです。
困ったことに遭遇して柔軟に対応できる力は、ある意味「知恵」と言えるものです。逆に、困ったことさえ起こらなければ普通に生活できるので、普通の人と見分けがつかず、生きづらさを持った人たちは「気づかれずに忘れられてしまう」可能性があるのです。
軽度の知的障害や境界知能は気づかれないことも多い
かつての「生きづらかった子ども」が刑務所に入ったケース(個人が特定できないよう一部内容を変更)もあります。
Qさんは、子どもの頃から勉強ができず、友だち付き合いも苦手でした。中学を卒業してすぐに土木関係の仕事に就きましたが、なかなか仕事を覚えられず仕事を転々としていました。景気が悪くなると仕事がなくなり、その日に食べる物にも困るようになりました。そこで悪いとはわかっていつつも、スーパーで食料品を万引きしてしまい、とうとう警察に捕まってしまったのです。
しかし刑務所でも作業がなかなか覚えられないため知能検査を受けたところ、「軽度知的障害」と診断されました。Qさんは出所後、福祉サービスを受けながら生活しています。「もっと早くにわかっていたら……」と、Qさんも支援者も思っています。
受刑者の中には、Qさんのように生きづらさを抱えた人たちがかなりの割合いるのではないでしょうか。この問題は山本譲司氏の『獄窓記』(新潮文庫)にも詳しく書かれています。刑務所の中は凶悪犯罪者ばかりと思っていたのが、実は「福祉のサポートが必要な受刑者がたくさんいた」というのです。法務省の矯正統計表を見ると、半数近くは認知機能に問題があるのではと推測さえできます。
アメリカ知的・発達障害協会から出版されている『知的障害定義、分類および支援体系(第11版)』の第12章にはまさに認知力が弱い、生きづらさを抱えた人たちについて、次のように書かれています。
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