東京の学生が知らない、地方学生の過酷な現状 田舎育ちの私が「教育格差ゼロ」に挑戦する理由

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新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)禍で、改めて浮き彫りとなった「教育機会」の格差。そんな中、どんな環境に育っても、「未来はつくれる」と信じられる社会を目指し、2001年から活動を続けてきた教育NPOがある。「カタリバ」だ。高校生が、少し年上の先輩など“ナナメの関係”にある人と対話をすることで、意欲や創造性を育むプログラム「カタリ場」をはじめ、困窮世帯への学習支援など、多様な教育機会を提供している。代表の今村久美氏自身も、かつては教育機会に恵まれず、苦しんだそうだ。いったい、何がきっかけで変わったのか。そこにあった恩師の力とは。

上京して初めて感じた、地方との大きな分断

――カタリバの設立は2001年。きっかけを教えてください。

私は、岐阜県で生まれ育ちました。電車が1時間に1本しか来ないような田舎です。
みんなが当たり前に大学に進学することはなく、自分が持ちうる未来の可能性について知る機会も少ない、必然的に将来の選択肢も狭まる、そんな環境でした。
幸い、私は高校で大変熱心な指導をしてくださる先生方に出会い、慶応大学に進学することになるのですが、大学に入学したことで、私の景色は一変することになりました。

そこで出会った都会の友人たちは洗練されていて、ロジカルにプレゼンテーションができる優秀な人たちばかり。それまで勉強はやらされるものだと思っていた私にとって、自ら学びを楽しむ人たちがいることは驚きでした。都会では、選択肢も無限にあるように感じ、刺激的で、まぶしかったのを覚えています。

しかし、同時に大きな分断を感じたのも事実でした。私の生まれ育った田舎とは、あまりに環境が違っていたからです。都会で生まれ育った友人たちは、海外旅行の経験はあっても、日本の地方における現状はあまり知らない。自分たちが当たり前に享受している環境が、どれほど恵まれたものなのか、地方に生まれ育ったために教育機会を得られず、選択肢を持つことが少ない人たちが存在するということに、まるで気づいていないように感じました。
もちろん全員がそうだとは言いません。

ただ、自分たちが今いる環境や才能、恵まれた機会を、自分の努力だけで獲得したと思っているのだとしたら、それはとても怖いことだな、と不安を感じたのです。

もっと、分断された世界を飛び越え、互いに対話をし、互いを知ることで、自分自身をも知っていく、そんな機会が必要ではないか、そう思ったのです。そのような場を形にしたのが、高校生と大学生などが対話をするプログラム「カタリ場」です。

(右上)カタリバでは就学援助等の支援を受けている世帯にお弁当を届ける「カタリバごはん」という支援も行っている(右下、左上)「カタリ場」で語り合う、高校生と先輩たち。本音で語り合うことで、気づきが生まれる(左下)カタリバ共同創業者の三箇山 優花氏と

――「カタリ場」は、高校生のためのプログラムというイメージが強いですが、始まりはむしろ大学生側に気づきを与えたかったのですね。

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