1964年のラスベガス、思いもかけない旅の記憶 夜の砂漠に浮かび上がる彼の地は幻想的だった

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ラスベガスには4回行っている。いちばん最近は2012年。この時は飛行機で行った。あとの3回はいずれもLA起点のクルマの旅。

ところが、「未知との遭遇」感、2回目には「さほど」、3回目には「ほとんど」感じなくなった。

なぜ……理由は簡単だ。時を重ねる毎にラスベガスの街は大きくなり、街の裾野が郊外まで拡がっていったから。

1964年のラスベガスの街の佇まいは「カットイン」的だったが、大きくなるにつれて「フェードイン」的佇まいに変容していったということだ。

ラスベガスが「砂漠の中の不夜城!」であることに変わりはないし、時と共にきらめきはさらにさらに増している。

でも、1964年……砂漠の闇の中を走るシボレー・ベルエアの中での体験……「燃えるUFO 」に突然遭遇したかのような異次元感覚を味わえたのは「自慢できる!」体験だった。

憧れの地で味わった素晴らしい現実

初めてのラスベガスをどう過ごしたか……にも、簡単に触れておこう。

ロブは僕を予約したモーテルで降ろしてくれた。あとは自由。僕はひたすら歩き回った。

ギャンブルに興味はないが、ラスベガスでカジノを見ないなんてありえない。で、カジノにも入り、クォーター(25セント)でスロットマシーンも試した。

観たいショーもあったが、高くて手が出ない。

「次は必ず」と心に念じ、看板だけ見上げていた。

ロブたちはいいホテルに泊まった。でも、朝食だけは彼らのホテルで共にした。なので、ラスベガスの高級ホテルの一端を垣間見られたのはラッキーだった。

ロブたちのホテルのロビーで会うことを約束して、朝食後は再びフリーに。ただ街を歩くだけだったが、楽しくて仕方がなかった。

昔のラスベガスは「大人の街」だった。今はテーマパークや遊園地のようなホテルも多く、子供たちが楽しむにも事欠かない。だから、家族連れが多い。今昔の大きな違いだ。

「往復の時間と朝食以外は、お互い完全にフリー」というロブのプランは文句なし。1泊だけのラスベガスだったが、最高に楽しめた!

僕のためにパーティーを開いてくれたエレイン、出会ったばかりの僕をラスベガスへの旅に誘ってくれたロブ、僕を泊めてくれた人……サンタモニカで知り合った人たちはみんな優しくてフレンドリーだった。

僕は中学生になった頃から、アメリカに、中でも南カリフォルニアに憧れを抱いていたが、憧れは現実になった。予想よりも、期待よりもずっと素晴らしい現実だった。

世界1周旅行の最初の目的地だったLAには1週間の滞在予定だった。でも、1カ月に伸びた。それでもまったく足りなかった。

(文:岡崎宏司/自動車ジャーナリスト)

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