東海林さだお「1人酒が持たれる残念な印象」 1人で酒を飲むのはつくづく難しいのだ
“店内の文字”も、「黙考」ととられないための手段として有効に働く。何かを読むという行為は、明らかに「黙考」ではない。
まずメニューを読む。すみからすみまで読む。メニューのおしまいのところの、「チェーン店一覧」のところまで読む。(そうか、第14支店まであるのか)と、第14支店の電話番号まで読む。
とにかくいろいろ読みまくる
メニュー精読が終了すると、次は店内の貼り紙を1つ1つ、はじから点検していく。
「冷えてます 生!」
(そうか、「冷えてます 生!」か。そうか、そうか。なかなかいいじゃないか。まず「冷えてます」と、こうくるわけだな。そしておいていきなり「生」と、こうもってきたわけだ。うん。この順序がいいわけだ。「生が冷えてます」。これじゃいけないんだよね。うん)
と、「冷えてます 生!」だけで3分はもつ。さらにもう1枚。
「整理、整とん」と、ある。
これは従業員向けの貼り紙である。
(うん。これは従業員向けの貼り紙だな。うん。店長かなんかが自分で書いて貼ったんだな。うん。しかし、そのわりにこの店は整理整とんがゆきとどいてないじゃないか。まてよ、そうか。それだからこそ、こうして「整理、整とん」とわざわざ書いて貼ったわけだ。そうなんだ。うん、わかったぞ)
と、ときどき大きくうなずいたりして、「整理、整とん」だけで4分はもつ。
店内の文字という文字、ことごとく読み終える。灯りのついた「避難口」という文字までじっくりと読み終える。
あとはもう、何もすることがない。
2人づれで来て、話し相手のいる人がつくづくうらやましい。どんなに相性のわるい人でもいいから、そばにいてほしいと思う。
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