「国家安全法」の背後にちらつく中国の脆弱さ 揺らぐ共産党一党支配、危機感ゆえの強硬策
2019年に香港で起きた混乱は、反政府勢力と外国勢力によって引き起こされた国の安全を脅かす事態であり、一刻も早く香港の安全を確保するための法律が必要である。国の安全を守るのは国家の責任であるから、政府が香港に代わって法律を作るのは当然であるという理屈だ。
都合のいいところだけ取り出した論法は国内向けには通用するかもしれないが、対外的にまったく説得力がないことは言うまでもない。
まだ法案の具体的内容は明らかになっていないが、法律が成立すれば、香港でも政府を批判する言論やデモなどの活動が違法となるばかりか、海外の組織との連携も取り締まりの対象となるだろう。取り締まりのための政府組織を香港に設置することも打ち出されており、民主派活動家に対する監視活動などが厳しくなるだろう。
中国にとっては2度目の挑戦
国家安全法は立法院選挙前にも成立し、施行される見通しであり、場合によっては立法院選挙に立候補を予定している民主派活動家らの拘束につながる可能性もある。王毅外相は「極めて少数の行為を対象」と強調しているが、2019年のデモの規模が数百万人規模だったことを考えると、まともに受け止めることはできない。
実は中国政府は2003年にも国家安全法の制定に挑戦し、失敗している。2002年9月、当時の江沢民主席が今回同様、「香港に国家安全法を制定する」と打ち上げた。ただし、このときは制定するのは香港の立法院であり、中央政府ではなかった。結局、立法院の審議に激しい反対デモが展開され、立法院は2003年、断念に追い込まれた。
偶然ではあるが、この年は重症急性呼吸器症候群(SARS)が中国・広東省で発生し、世界中に広がった年だった。デモの規模は50万~70万人と、2019年に比べるとはるかに少なかった。中国政府が香港の立法院に任せたことが失敗につながったと考えたとしてもおかしくない。
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