大問題の普天間基地移設、経緯をあらためて復習する

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 普天間基地とは、宜野湾市の中心部に位置し、ヘリコプターを中心とする海兵隊航空部隊の基地となっているものである。そのヘリの運用は続けなければならないため、普天間返還には代替施設を沖縄県内に新設することが付随条件となっていた。

日本としては名護市の辺野古に海上ヘリポートを建設したいと考えていたが、沖縄の世論は賛成・反対に二分された。98年に賛成派の稲嶺恵一氏が反対派の大田昌秀前知事を破って当選した結果、99年末に辺野古沖での代替施設建設の受け入れが決定された。ところが、移設条件をめぐる混乱や、反対派市民による工事妨害などが後を絶たず、普天間返還の実現は21世紀に持ち越されいまに至っている。


出典:外務省資料

日米の繊細な交渉が進められた2000年代

2001年にブッシュ政権が成立し、03年より在日米軍再編交渉が日米間で開始された。米国側は、冒頭に述べた2つの特徴にのっとった戦略から、在日米軍の利便性をより向上させたいこと、さらには自衛隊とも連携を強化したいことを求めてきた。

これに対して日本は、これ以上なし崩し的に在日米軍を極東を超えた世界展開に使われる事態を拒否する姿勢をとり、交渉は難航した。難航打開のため、05年に日米共同声明が発表され、日米防衛協力を強化するために在日米軍を再編するという大義を再確認した。そして、「地元の負担軽減をしつつも在日米軍の抑止力と能力は維持する」ことを宣言する。

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