スズキがインドでシェア50%超を維持する理由 世界5位の大市場で販売台数はトヨタの10倍

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同じ2020年2月の販売データを見ると、他の日本勢は、あのトヨタでも販売台数は1万352台とマルチ・スズキに対して1/10以下、ホンダが7269台、日産はわずか1029台。東南アジアの多くの国のように日本車に人気が集まっているわけではなく、スズキだけが突出しているのだ。

果たして、マルチ・スズキはどうやってインドでそこまでのポジションを得るに至ったのだろうか。そこにはスズキが早くからインドの自動車産業へ参入したことが大きく関係している。

スズキがインドへ進出を決めたのは1982年。約40年も前のことである。当時、インドは「庶民に手が届く価格でクルマを普及させる」という目標を掲げて国民車構想を立ち上げ、パートナーとなる海外の自動車メーカーを探していた。

その情報をキャッチしたスズキが、自動車生産のためにつくられたインドの国営企業である「マルチ・ウドヨグ」(後に民営化されて「マルチ・スズキ」となる)にアプローチして手を組み、インドへ参入したのだ。

マルチ800のヒットが運命を決めた

決断したのは当時スズキの社長だった鈴木修氏(現会長)だが、彼はのちに「先見の明なんてあったわけじゃない。本当は大手と同じように先進国に進出したい気持ちがあったが、小さなクルマを作ってほしいと言ってくれる国はインドのほかにはなかった。だからインドに行ったのだ」と述べている。ただ、「従業員の士気を高めるために、どこかの国で1番になりたいとは考えていた」とも言っていた。

翌1983年には、軽自動車の「アルト」をベースに現地化した「マルチ800」の現地生産をスタートする。

1986年から2014年にかけてロングセラーとなった2代目「マルチ800」のベースである2代目「アルト」(写真:スズキ)

同車は当時、作られていた地元メーカーのクルマより安価なこともあって、発売と同時に大ヒット。ロングセラーとなり、2014年に生産を終了するまでに累計291万台が作られた。そのクルマのヒットこそが、マルチ・スズキの運命を決めたと言っていい。

もちろん、参入するや否やインド乗用車市場のリーダーとなったマルチ・スズキのクルマの人気の理由は、単に安いというだけではなかった。

当時のインドで作られていたクルマの代表格と言えば、地元「ヒンドゥスタン・モーターズ」の「アンバサダー」だったが、設計が1950年代と古いこともあって燃費が悪く、故障も多かった。

対してマルチ800は安いだけでなく、低燃費かつ故障も少なかったので、人気を集めたのだ。そこで得た「信頼」のイメージが、マルチ・スズキの強さの根底にある。

それとともに、もうひとつの大きな理由が、インドのニーズをしっかりとくみ取った現地化だ。

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