なぜ「資本主義」は輝きを失ってしまったのか ノーベル賞経済学者が提示する「新・国富論」
だが、40年ほど前から憂慮すべき2つの変化が見られるようになった。成長の鈍化と、大多数の国民の所得の停滞または減少である。それとともに、最上層にいるごく少数の国民と残りの大多数の国民との間に、巨大な溝が生まれた。
このまま進路を変更しなければ、何も変わらない。経済や政治や社会はますます機能不全に陥っていく。これまで数世紀にわたり進歩を支えてきた科学や機関や制度、とりわけ真実を語り評価する機関への攻撃が続けば、成長はさらに鈍化し、格差はさらに拡大するばかりだろう。
中流階級の生活を提供する経済の実現
ここで、希望に満ちた一言を加えておこう。豊かさの共有を推進できる簡単な改革案がある。政治的には必ずしも簡単ではないかもしれないが、経済学的には簡単な改革案である。
私たちは、広く共有されている基本的な価値観(銀行家が示してきたような貪欲や不誠実ではなく、経済・政治・宗教の指導者がよく口にするようなもっと高い価値観)と一致する経済を生み出せる。
そのような経済は、私たち個人や社会を望ましいものに変えてくれるに違いない。それは、大多数の市民が望みながらも、手の届かないものになってしまっていた「中流階級」の生活を市民に提供する、より人間味のある経済である。
言うまでもなく経済は目的達成のための手段であって、目的そのものではない。第2次世界大戦後の数年間にはアメリカ人の生まれながらの権利だと思われていた中流階級の生活は、いまや大半のアメリカ人にとって手の届かないものになってしまった。
だがこの国は、当時よりはるかに豊かになっている。大半の市民にその生活を提供するだけの力は十分にある。本書ではその方法を提示していきたい。
適切に設計され、十分に規制された市場と、政府や市民社会のさまざまな機関とが力を合わせるしか、新たな世界を切り開く方法はない。
過去の失敗は、未来のプロローグとなる。テクノロジーの進歩を適切に管理できなければ、アメリカはディストピアへと突き進んでいく。
格差はいっそう拡大し、政治はさらに分断され、市民や社会は理想とかけ離れたものになるだろう。
自らの首を絞める資本主義を救う時間はまだある。
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