入館者大幅増、鉄道&おもちゃ美術館の合わせ技 列車から始まるユニークなミュージアム体験
東京おもちゃ美術館は、新宿区四谷の旧新宿区立四谷第4小学校の校舎を利用して、2008(平成20)年から運営されているミュージアムだ。1936(昭和11)年竣工の鉄筋コンクリート製校舎は、ドイツ人建築家が設計した由緒ある建物。2007(平成19)年3月に惜しまれながら閉校したが、地域住民たちは校舎の保存を新宿区に働きかけた。だが、住民だけで維持するには、あまりにも規模が大きい。そこで誘致されたのが、当時中野にあったおもちゃ美術館だった。
「私が新宿区出身ということもあり、力になりたいと考え応じました。しかし、家賃がどうしても高額になることもあり、多くの人に訪問してもらえる施設にしなくてはなりません。そこで着目したのが、”木の力を借りる”ということでした」(多田千尋東京おもちゃ美術館館長)
日本は木のおもちゃ大国。それにふさわしい、木の香りが漂うミュージアムにすれば、子どもたちだけでなくパパママ世代も惹きつけられる。
しかし、国産木材でできたおもちゃを展示しただけでは、すぐに飽きられる。展示したおもちゃは原則として実際に遊べるようにし、さらに遊び方を教えてくれるボランティアの「おもちゃ学芸員」制度を取り入れた。東京おもちゃ美術館は「歴史ある校舎で、大人の目も届く環境のなか、安全な木のおもちゃで好きなだけ遊べる」ユニークなミュージアムとしてオープンし、初年度の入館者は8万人に達した。その後も年々増加し、現在は年間15万人を数える。その人気は、やがて「木育」を推進する林野庁の耳に届いた。
「林野庁のバックアップにより、当館は木育の情報発信基地のような存在になりました。全国から多くの視察が訪れ、その中でも熱心だった自治体のひとつが、由利本荘市でした」(多田氏)
おもちゃ美術館になることが運命だった
東京おもちゃ美術館を訪れた由利本荘市の人々は、そのにぎわいに驚いた。昭和初期の校舎がほぼそのままの状態で保存され、各教室では子どもたちがパパママ、おもちゃ学芸員といった多世代の人々と楽しく遊んでいる。
「これは凄い、と思いました。同時に、鮎川小学校だったら、ここに負けない施設が作れるはずだと直感しました」(佐藤氏)
由利本荘市には、家族が安心して遊べる施設が不足していた。東京おもちゃ美術館のやり方なら、鮎川小学校は文化財として保存できる。子どもたちは、地域の特産品である木材を使ったおもちゃで存分に遊べる。大人たちは子どもたちと自然にふれ合い、多世代交流が実現できる。
「3つの歯車がかみ合ったのです。使い道に困っていた校舎が、実はおもちゃ美術館になることが運命だったのではという気さえしました」(佐藤氏)
早速市民へのプレゼンをかねて「移動おもちゃ美術館」ともいうべき「木育キャラバン」を2015(平成27)年10月に開催すると、2日間で約3000人もの人が集まった。東京おもちゃ美術館の多田館長も鮎川小学校を訪れ、そのすばらしさに「鳥肌が立つほど」感動したという。
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