「口先だけの若者」になぜメンターがいないのか 「居心地悪い」学びこそサードドアにつながる
サードドアを開くのも、居心地の悪いコミュニティー、居心地の悪いメンターとどう向き合うかにかかっていると思います。僕は、20代後半から30代の頃に、そのようなコミュニティーに属することができたことでラッキーをつかめたと思っていますが、そこは居心地が悪いときもありました。
サードドアは決して閉ざされていない
当時から自分なりに志を持ってはいましたが、自分なんかよりももっとデカいなと思わされる人がたくさんいて、叱られたり、まったく知らなかったことを言われたりするんです。
そこで素直に学べる人は、サードドアに近づけると思います。逆に、うっとうしいと思ったり、居心地のよい場所を探そうとすると、ファーストドアにもたどり着けませんし、そんなことではドアをこじ開けるということもできなくなって、身近な自動ドアぐらいしか目に入らなくなりますよ。
サードドアは自動ドアではありません。でも、決して閉ざされているわけではなく、実は自然とあって、たどり着いた人は向こう側から「ここは楽しいぞ。お前もたどり着けよ」と思っている。彼らも仲間が増えたほうが面白いのですから。
ですから、「類は友を呼ぶ」のマインドが必要かもしれませんね。ある精神性を持って過ごしていると、その精神性と通ずる人とつながるようになる。志を持って行動しつづけていたら、いつの間にかそのドアを通り抜け、自分の夢を実現させられる人々が現れるわけです。それはサードドアの向こう側の人として認められることでもあるでしょう。
もちろん、僕なんかまだまだだと言われるでしょうし、これからまた開けるかもしれないサードドアの向こうには、もっともっと居心地の悪い世界もあると思っています。失敗もいっぱいしていますし、決して今が成功とは思っていません。
でも、叱られて反省して成長していくうちに、叱ってくれる人のレベルが上がっていくんです。僕はYahooを経て日本のFacebook立ち上げに関わり、KDDIに入って、今は会社を運営しています。その過程で、孫正義、マーク・ザッカーバーグ、稲盛和夫といったすごい経営者たちを意識してきました。
今では、KDDIというものすごい時価総額の会社のトップの方に叱られる機会もあって、名誉なことだなあと、もはやうれしくなっています。
一緒に仕事をする人というのは、本当に厳しいものです。厳しいメンターから解放されたと思ったら、またさらに強烈なメンターが現れる。でも叱ってくれるのは愛情ですからね。だって、人を叱るのは疲れるんですよ。アレックスの成長物語のように、僕の成長物語もこれからも連綿と続いていくのだと思っています。居心地は、ずっと悪いでしょうけど(笑)。
(構成/泉美木蘭)
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